思い通りに制御するのが難しい。好き嫌いだから。
夢の中で味など感じるのだろうか、と思いきや、
「美味しいと思いながら食べている」夢を見ることがあります。
夢で何かを味わうことは、主観的経験を示唆します。
「まずい」と感じるのは、
まずい事態がおきるということではなく、
それについての関心が「冷めている」のでしょう。
飛び上がるほどではないとしても、
普通に美味しく食べていたのだとしたら、
違和感がないということ、安心できている
ということでしょう。
「味」は、それが元々具えている性質であり、
私達に味合わせ、その性質を経験させるのです。
「味覚」は、道徳的概念ではありません。
個人の美的概念による感覚的経験をいいます。
思考ではなく、
「好き」とか「嫌い」などの感情がもたらす
直接的な身体の反応
なのです。
私達には、独自の(感情の)基準があります。
それに基づき、周囲の世界をどう理解するかを表しているので、
辛いと感じるのも、酸っぱいと感じるのも、
それが
自分の基準を超えている、
ということ。
それについて
我慢するか、抵抗を示すか、受け入れるか、排除するか、
決めようとしているのかもしれません。
視覚では「桃」という情報が送られてきているのに、
石鹸の味がする
などの夢を見ることもあります。
あなたが間違った理解をしているか、
間違った思い込み(偽情報)をしている可能性があります。
そのために、要らぬ心配をしてしまう可能性もあります。
「これ、辛いよ」と言われるのは、「辛口コメント」と同じで、
相手に
耐えがたいと感じさせている
可能性があります。
もしかしたら、相手にそう感じさせるようなことを言ったのではないか、
と心配しているかもしれません。
ただ、「辛い」ものが食欲を増進させる効果もあるように、
相手のやる気を促進させている可能性もあるでしょう。
あなたがもし、それを狙って(痛みを通して力とするように)発言したとしても、
功を奏すかどうかは相手の経験値によるでしょう。(舌参照)
それは、人によって違うということ。
万人の共感は得にくい、好ましさの判断。
「これ、美味しい」と思ったり、
苦みが好き、酸味がちょうどいい、など「味を楽しむ」夢なのだとしたら、
ある習慣や信念に意味を見出そう
としている可能性があります。
その刺激を肯定的に受け取れるかどうか、
ということです。
私達人間は、他の動物と違って「風味」を楽しむことができます。
本来なら「まずい」と判断されそうな味も、
「風味」と捉えることによって、不思議と欠点を長所とみなしたり、和らいだり
することがあります。
受け止め方はそれぞれで、食べ物の
故郷、土地、伝統などを知ることで味覚が広がるように、
それを寛容できないとしても、
出身地、その人格が形成された育ち方、育ったプロセスに
敬意を払うことで、あなた自身の視野が広がるでしょう。
いろいろなものを味わい、
経験をすることで、微妙な違いもわかるようになります。
あなたの感情も同じ。
新たな経験をし、考察することで、自分の世界を広げてゆくことができます。
そうして、私達は益々
洗練されてゆきます。
それについて、慎重に吟味する
努力も必要です。
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