人生の進歩向上について考え過ぎている?
社会の中で
自分はうまくやっていけるかどうか
ということを心配しすぎるほど心配していること。
あなたは、(人生という旅路の中で)あまりにも先を急いでいるのかもしれません。
或いは、
自分が定めたゴールに向かって出発したいと思っているのに、何かが足りずそれができずにいる
のかもしれない、
その何かとは、「自信」のことでしょうか。
首尾よく間に合ったとき、私達は
「ふう。やれやれ、やっとのことで、列車に間に合った」
などと思います。
この言葉の中には、
努力が首尾よくいった
という満足感や成就感があります。
一方、
「乗り遅れた」という言葉は、私達が「好機を逃したとき」に
比喩として使う言葉であったりします。
流行に乗り遅れた、とか。
自分は(世の中の)動きに乗じているだろうか、と
進歩と退歩の葛藤を表していることが多いのです。
列車に間に合う夢や乗り遅れる夢を何度も見るのだとしたら、あなたは
こうしたこと ー社会的な進歩状況について
うまくいっているだろうか、成長できているだろうか
ということについて
死ぬほど(?)考えてしまうのかもしれない、
自分の行動に、ちっとも結果が伴っていかない
(間に合わなかった、置いていかれた、必死で走ったのに、ダメだった・・)
気がしているのでは?
確かに、私たちは新しい目標を設定し、それを達成するための道筋をあれこれ思案しますが、
既にたくさんのことに追われている、という事実にも気づく必要があります。
こう、考えることもできます。
自分は、ぎりぎりまで頑張っている、と。
夢に
そう慌てなさんな。死ぬわけではないのだから
と言われている可能性もあります。
列車 参照
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