いいのですよ、あなたに道を示すことで、私も救われるのですから。
慈悲心や
理想を体現する存在
として登場することがあります。
どれほど勉学に励んでいたとしても、みんながみんな弁護士になるわけではないし、
どれほど慈悲深くても、みんなが僧侶にはなりません。
それでも私達は(夢に登場した人物と)
同じような境涯になる
ことがあります。
僧侶を
悟りを開くための出家者と考えれば
困難に直面しても動揺しない、力強い境涯
であるとも考えられるし、静けさと安定を求めたい気持ち、
或いは
相手が本当の意味で幸せになるよう
導く者
と考えることもできます。
人を導く役割ならカウンセラーであってもいいわけですが、
僧侶のイメージなのは、
その行為が自分をも助けることになる
という心が働いているのかもしれません。
例えば、
何かと批判や不平を口にする人に対し、
思いやり、寛容さ、忍耐が足りていない
と告げることは簡単です。
でも
考えてみれば、自分にも誠実さや、思いやり、親切な心が欠けていた(;’∀’)
と気づいたなら、
その人の機根に応じた対話をすることができ、それは
ひいては自分の力となります。
「自分には誰かの態度を変えられるだけの力なんてない」と思っていても、
最善を尽くすことは可能であり、
あなたは、昼間それに似たことをした
のではないでしょうか。そのとき、あなたは確かに慈悲の心をおこしていたわけです。
「慈悲」の心とは、人を幸せに導く勇気
であるとも言われています。
穏やかでありながらも決然とした態度
でいれば、その先には深い理解の瞬間が待っているでしょう。
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