いいのですよ、あなたに道を示すことで、私も救われるのですから。

慈悲心や、理想を体現する存在
として登場することがあります。
どれほど勉学に励んでいたとしても、みんなが弁護士になるわけではありません。
どれほど慈悲深い心を持っていたとしても、みんなが僧侶になるわけでもありません。
けれど私たちは、夢に登場した人物と
同じような境涯になる
ことがあります。
僧侶を、悟りを開くために出家した人と考えれば、
困難に直面しても動揺しない、力強い境涯
を表しているとも考えられます。
また、
静けさと安定を求めたい気持ち。
あるいは、
相手が本当の意味で幸せになるよう導く者
として、夢に現れているのかもしれません。
人を導く役割なら、カウンセラーや先生として現れてもよいはずです。
それでも夢の中で「僧侶」や「お坊さん」の姿をとるのは、
その導きが、相手のためだけでなく、
自分自身をも助けるものになる
という心の働きがあるからかもしれません。
例えば、何かと批判や不平を口にする人に対して、
「あなたには思いやりや寛容さ、忍耐が足りていない」
と告げることは簡単です。
けれど、よく考えてみれば、
自分の中にも、誠実さや思いやり、親切な心が欠けていたのではないか
と気づくことがあります。
その気づきが生まれたとき、私たちは相手を責めるだけではなく、
その人の状態や、心の受け取り方に応じた対話をしようとします。
それは、相手のためであると同時に、
ひいては自分自身の力にもなっていきます。
「自分には、誰かの態度を変えられるほどの力なんてない」
と思うこともあるでしょう。
けれど、相手を変えられるかどうかは別として、
最善を尽くすことはできます。
そしてあなたは、現実の中で、すでにそれに近いことをしたのではないでしょうか。
そのとき、あなたの中には確かに
慈悲の心
が起こっていたのだと思います。
慈悲とは、ただ優しくすることではありません。
相手に合わせて黙っていることでも、何でも受け入れることでもありません。
慈悲の心とは、
人を幸せに導こうとする勇気
でもあります。
穏やかでありながら、決して流されないこと。
相手を責めきるのではなく、しかし大事なことから目をそらさないこと。
そのような姿勢でいるとき、夢の中の僧侶は、
あなた自身の中に育ちつつある
静かな強さ
を映し出しているのかもしれません。
穏やかでありながらも決然とした態度でいるなら、
その先には、深い理解の瞬間が待っているでしょう。
聖なる人物や神聖な存在が印象的だった場合は、
「聖なるものが現れる夢が示していること」も参考になるかもしれません。



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