「告白する」の中で記述したように、
夢ストーリーの
体験者(直接何かに働きかけている人)は友人で、
自分は観察者(見守る人)だった
ということがあります。
勿論、主体者も見守る側も自分なのですが、
主体者は、
それに没頭している自分
であるといえます。
この立場に在る時、私達は外側の景色が見えていない
ことがあります。それに対し、
見守る側の「私」は、
主体者の行いと、その外側にあるものの両方を観察することができます。
それに取り組んでいる時には気づきにくいこともわかる
わけです。
こうした夢を見るのは、
真剣にその出来後の中に入って試してみよう、という側面に対し、
「でも・・・」という心がある、
その両面を考え併せ、事態の終息を図ろうとしていたり、
「実はそうじゃないのかも」などと考え、
事の真相を見抜こうとしているのでしょう。
私達は、決断を急かされ、葛藤したり迷ったりもします。
時には警察官や意地悪な人を登場させ、
自分の中に恐れや不安があることは認めながらも、ポジティブな可能性を
探っていくわけです。
勿論、
それをやってみて初めてわかることがある
わけで、
この両方の存在が「事態を見抜く」ことに繋がっているといえます。
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