強い存在感をはなち、私に気づかせようとしている/一筋の陽光は、その場の雰囲気を変える力を持っている。
私は、このような夢をはじめて見ました。
夢の中で、何か特別な出来事が起きたわけではありません。
ただ、朝の光に照らされて、
みかんが、とても綺麗なオレンジ色に輝いていたのです。
それだけの、静かな夢でした。
光に照らされて見えたもの
その夢を見たのは、
腰を痛めていた時期でした。
病院では
「これからは、うまくつきあっていくしかないですね」
と言われました。
決して軽い言葉ではありません。
これまで通りに動けないかもしれない、
そんな可能性を含んだ言葉だったと思います。
けれど、不思議なことに、
私はそのとき、強い不安に飲み込まれることはありませんでした。
不思議と、心のどこかで、
「私は、元のように動ける体に戻してみせる」
そう確信していたのです。
根拠があったわけではありません。
誰かにそう言われたわけでもありません。
ただ、説明できないけれど、
身体の奥のほうで「大丈夫だ」と感じていました。
その頃に見たのが、
朝の光に照らされた、
とても綺麗なオレンジ色のみかんの夢でした。
何かを探す夢ではなかった
この夢は、
何かを失う夢でも、
何かを探し回る夢でもありません。
不安に追い立てられることもなく、
焦ることもなく、
ただ、「見あげている」夢でした。
光に照らされて、
そこに輝くものが、
はっきりと見えていただけ。
夢はときどき、
答えを示すためではなく、
すでに起きている変化を確認するために現れることがあります。
この夢も、
そうした性質をもつ夢だったのだと思います。
光とともにあるもの
夢に現れたみかんは、
特別な象徴を主張するような存在ではありませんでした。
けれど、
光を受けて、
生命力のある色を放っていました。
それは、
-
これから手に入れる希望
-
いつか訪れる回復
ではなく、
すでに、ここに在るもの
だったように感じます。
光があったから見えたのではなく、
光とともに、
もともとそこに在ったもの。
別の夢では
公園で、トウモロコシを持って立っている人々が、光に照らされていました。
私はその光景を見て、「素敵な一枚が撮れそう」と感じていました。
この夢でも、トウモロコシそのものに強く惹かれたというより、
光とともに見えたことで、何気ない風景が急に特別なものとして目に入ってきたのだと思います。
しかも、その少し前まで私は、世界情勢や経済について議員さんに質問し、「どうしたらよくなっていくのだろう」と考えていました。
けれど、はっきりした答えは得られませんでした。
そのあとで目に入ったのが、
人々と、トウモロコシと、そこに差し込む光でした。
夢は、言葉で答えを教えてくれる代わりに、
「見方が変われば、そこにあるものの意味も変わって見える」
ということを、ひとつの風景として見せてくれたのかもしれません。
光とともにあるものは、特別だから輝いて見えるのではなく、
光によって、そこにあった価値や存在感に気づくものでもあるように思います。
見えなくなっていただけかもしれない
私たちは、不安なときほど、
「失った」「できなくなった」「もう戻らない」
と感じやすくなります。
けれど、実際には、
-
失われたのではなく
-
消えたのでもなく
-
壊れたわけでもなく
ただ、見えなくなっていただけ
ということも少なくありません。
光の当たり方が変われば、
同じものでも、まったく違って見えます。
夢は、そのことを
言葉ではなく、
「体験」として見せてくれたのかもしれません。
静かな確信
この夢は、
「大丈夫だ」と言ってくれる夢ではありません。
「頑張れ」と励ます夢でもありません。
ただ、
光の中で、
そこに在るものを、
そのまま見せてくれる夢でした。
そしてその体験は、
私の中にあった確信と、
どこかで静かに重なっていました。
まとめにかえて
光とともにあるものは、
必死に探して見つけるものではなく、
信じたときに、
ふと目に入るものなのかもしれません。
不安の中にあっても、
失われていないものは、
思っているより近くにあります。
この夢は、
それをそっと思い出させてくれた、
静かな合図だったように思います。



コメント