夢で加害者と被害者、どちらになることが多い?

夢の小さな哲学

破壊に向かうか、創造に向かうか

暗い部屋でテーブルを挟んで向き合う二人夢の中で、相手を罵倒したり、何かを壊したり、

自分が暴力的に振る舞っている

夢を見て、目覚めたあとに驚くことがあります。

「普段の自分なら、絶対にこんなことはしない」、

そう感じる人ほど、強く印象に残るでしょう。

夢の中の暴力性は、必ずしも現実の悪意や危険性をそのまま表しているわけではありません。

たとえば、心の中に長くたまっていた怒りや悔しさ、憎しみ、言えなかった言葉があるとき、それが夢の中で爆発的に表現されることがあります。

現実では抑えてきた感情が、夢の中でようやく形を持つのです。

普段、自分は大人しい人間だと思っている人でも、夢の中で加害者になることがあります。

その場合、その人の中では、

自分の力で事態を動かしたい

直接的に問題を解決したい

という主体的な態度が働いているのかもしれません。

 

夢の中で攻撃する側に立つということは、必ずしも悪いことではありません。

それは、自分の中にある怒りや意志が、まだ生きているということでもあります。

反対に、現実では積極的に行動している人でも、

夢の中ではよく攻撃される、追い詰められる、やっつけられる、

ということがあります。

その場合、心の深いところでは、対人関係や社会に対して、どこか受け身になっているのかもしれません。

普段は強く振る舞っていても、内側では疲れていたり、無力感を抱えていたりすることがあります。

そうしたときには、他人の何気ない言葉や、わずかな働きかけさえ、夢の中では暴力的な力として感じられることがあるのです。

 

夢は、私たちが表向きに見せている姿だけではなく、もっと奥にある感覚を映し出します。

「自分は強いはずだ」と思っていても、夢の中では逃げている。

「自分はおとなしい」と思っていても、夢の中では誰かに立ち向かっている。

そこには、普段の自己像とは違う、もうひとつの心の姿が表れています。

暴力的、攻撃的と言葉にすると、あまり良い印象を抱かないかもしれませんが、

攻撃性は、人間が動物と分かち合っている基本的な力のひとつです。

誰の中にもあります。

そして攻撃性は、使い方によっては、ひとつの希望を生じさせるほど広い意味を持っています。

肯定的に見れば、それは、

自己自身を拡大し、確立していく力

でもあります。

自分の領域を守る力。

理不尽なものに抵抗する力。

前へ進もうとする力。

ときには野心となり、良い意味での競争心に変わることもあります。

 

大切なのは、攻撃性そのものを否定することではありません。

その力が、どこへ向かっているかです。

破壊へ向かうのか。

支配へ向かうのか。

それとも、創造へ向かうのか。

攻撃性は、創造へと方向づけられることで、ただの衝動ではなくなります。

動物的な反応を超えて、より発展した、人間らしい力になっていきます。

相手と対立すること。

緊張関係の中に置かれること。

自分の中に怒りが生まれること。

それらは、決して恥ずかしいことではないのですが、

現実世界で、その力をそのままぶつけてしまうと、困った事態を招くわけで、

自分の攻撃性を認めながらも、最後にはそれを、愛というまったく反対の方法で包み込んでいく。

自分の中で受け止め、方向を変えていくことが大切なのです。

そこに、人間としての成熟があるのだと思います。

 

夢の中で自分が加害者になるのか、被害者になるのか。

それは、単なる善悪の問題ではないのかもしれない、

今の自分が、世界に対してどのような姿勢で向き合っているのか。

自分の力を、どのように使おうとしているのか。

夢はそのことを、とても率直に映し出しているのかもしれません。

夢の中の攻撃性は、あなたの中にある危険な部分というより、まだ方向づけられていない生命力なのかもしれません。

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