夢を説明するのはなぜ難しいのか|時間も順番もほどけていく夢のふしぎ

夢の小さな哲学

夢を見たあと、誰かに説明しようとして、うまく言葉にならないこと、ありませんか。

見ている最中は、たしかに一つの出来事のように感じていたのに、
起きてから思い出そうとすると、

どこから始まったのか。
どの場面とどの場面がつながっていたのか。
何が先で、何があとだったのか。

急にわからなくなってしまうのです。でも、

夢の中では、ちゃんと意味が通っていたように感じます。

学校にいたはずなのに、いつの間にか職場になっていたり、
知らない人のはずなのに、夢の中では昔から知っている人のように感じたり、
別々の出来事のはずなのに、なぜか「これは続きだ」とわかっていたりします。

けれど目が覚めると、そのつながりはとても曖昧になります。

夢を説明するのが難しいのは、
夢が現実のように、時間の順番で進んでいるものではないからかもしれません。

現実では、出来事には順番があります。

朝起きて、支度をして、外へ出て、人に会って、何かが起こる。

けれど夢の中では、そうした順番よりも、
感情や印象のつながりのほうが大きな役割を持っているように感じます。

「怖い」から場面が変わる。
「急がなければ」と思った瞬間に、道や乗り物が現れる。
「誰かにわかってほしい」という気持ちが、人や言葉の形になって出てくる。

夢の中では、出来事が出来事を呼ぶというより、
心の動きが次の場面を呼んでいるのかもしれません。

だから、起きてから夢を説明しようとすると、
現実の文章のように、きれいに並べることが難しくなるのでしょう。

もう一つ、不思議なのは夢の時間です。

とても長い夢を見ていた気がして、
はっと目が覚める。

「寝過ごしたかもしれない」と思って時計を見ると、
実際には、そんなに時間が経っていないことがあります。

夢の中では、何時間も、あるいは何日も過ごしたように感じていたのに、
現実の時間ではほんのわずかだった。

この感覚も、夢の不思議なところです。

夢の時間は、時計の時間とは違うのかもしれません。

現実の時間は、秒針や分針で測ることができる、
けれど夢の時間は、
感情の濃さや、体験した印象の深さによって伸びたり縮んだりするように感じます。

強い不安があれば、一瞬が長く感じる。
懐かしさや切なさがあれば、短い場面の中に長い年月が含まれているように感じる。
何かを探している夢では、たった一場面なのに、長い道のりを歩いたような疲れが残る。

夢の中では、時間はまっすぐ流れているのではなく、
心の奥で折りたたまれたり、引き伸ばされたりしているのかもしれません。

だから夢を記録するとき、
無理に最初から最後まで、きれいな物語にしなくてもいいのだと思います。

「たぶん最初は、こんな場所にいた」
「途中で場面が変わった気がする」
「誰がいたのかは曖昧だけれど、この感情だけは残っている」
「最後に、これだけが妙にはっきりしていた」

それくらいで十分なのかもしれません。

夢は、
言葉になる前の感情や、
まだ整理されていない思い、
自分でも気づいていない心の動きが、
場面や人物や物の形を借りて現れているものです。

だから夢を説明するときに、前後がわからなくなるのは自然なことです。

自分の記憶力が悪いからではなく、
夢そのものが、現実とは違うしくみでできているからで、

夢を語ることは、
壊れやすい薄い布を、そっと広げる作業に似ています。

強く引っ張ると破れてしまう。
急いで整えようとすると、かえって形がわからなくなる。

でも、残っている手触りをたどっていくと、
そこには確かに、自分の心が触れていた何かがあります。

夢は、説明しにくいものです。

その説明しにくさの中にこそ、
夢らしさがあるように思います。

現実の言葉ではうまく並べられないもの。
時間の順番ではつかまえられないもの。
けれど、目が覚めたあとも、なぜか心に残っているもの。

それが、夢なのだと思います。

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