たまに
「夢なんて、ちっとも見ないよ」と言う人がいます。
以前は少し不思議に思っていたけれど、
今は、その感覚が少しわかる気がしています。
それというのも、今の私がまさに
夢をほとんど見ないからです。
正確に言えば、見ているのかもしれないけれど、
目覚めたあと、何も残っていません。
現実に根差して生きているとき。
目の前の出来事に対処するのに精いっぱいのとき。
判断し、動き、生活を回していくことに
意識が向いているとき。
そういう時期には、
夢にまで、かまっていられないのです。
それは、心が止まっているからでも、
感受性が鈍ったからでもなく、
起きている時間の意識が、
現実に深く使われているからなのでしょう。
夢は、いつも語り続けるものではなくて、
語る必要があるときに、
言葉にならない感情が溜まったときや、
立ち止まる余白が生まれたときに、
そっと前に出てきます。
夢を見ない時期があることは、
どこかおかしいことでも、
欠けていることでもありません。
現実の中で、
考え、選び、引き受けて生きているとき。
その人はもう、起きている意識だけで、
十分にやれているのです。
夢が静かになるのは、
必要なくなったからではなく、
今は、沈黙しているだけ。
また、人生のどこかで、
言葉にならないものが増えたとき。
立ち止まって、振り返る余白ができたとき、
夢は、何事もなかったように、
戻ってくるでしょう。
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