私の世界では、いつも多くのことが起きている/感情はいつも揺さぶられ、変わりやすくある
目が覚めたあと、
「どうして今日、こんな夢を見たのだろう」
と思うことがあります。
昨日あった出来事がそのまま出てきたような夢なら、
まだ心当たりも見つけやすいでしょう。
けれど実際には、
とくに強く考えていたわけでもないことが夢になったり、
どうしてこの場面になったのか、自分でもよくわからない夢を見ることがあります。
夢は、現実のようにきれいに整理されておらず、
日常の中に散らばっていた小さな印象や感情が、
眠っているあいだにひとつの物語へと縫い合わされていくことがあります。
こころあたりのない夢を見ることがある
夢には、
「昨日これがあったから、この夢を見たのだろう」と
比較的わかりやすいものもあります。
けれど、
とくにそのことを強く考えていたわけでもないのに、
なぜか妙に印象に残る夢を見ることもあります。
どうして今日こんな夢だったのだろう。
どうしてこの場面が出てきたのだろう。
あなたも、
そんなふうに不思議に思ったことが
あることでしょう。
夢は日常の断片を混ぜ合わせてできているのかもしれない
夢は、何かひとつの出来事だけが
そのまま映し出されるものではないのかもしれません。
最近聞いた話。
うっすら気になっていたこと。
先の予定への調整意識。
誰かとの会話で少し揺れた感情。
直接考えていたわけではないけれど、
心の奥でふれていたテーマ。
そうしたものが混ざり合って、
ひとつの「夢の場面」をつくることがあります。
夢の中では、
それがひとつの筋の通った出来事のように見える
けれど、その材料は、
日常のあちこちに散らばっていたものなのかもしれません。
会話や予定や読んだものが夢の材料になる
たとえば、私が
久しぶりに友人と近況を語り合った日に見たのは、
ひとつの夢ストーリーの中に、雑多ないろいろな映像が入り込むような夢でした。
表面では穏やかな会話でも、
心の奥では、
「これから先の暮らし」
「家族の変化」
「年齢とともに起こりうること」
「自分が担う役割」
そんなテーマに静かにふれていることがあります。
そこへさらに、
死や移行、見えない領域について考えるような本や言葉が重なると、
心の深いところが刺激されても不思議ではありません。
また、仕事や予定の調整を考えていたときも、
その心の動きは、夢の中で別の形を取ることがあります。
「調整する」
「段取りを考える」
「何かあったときに備える」
そうした意識が、
「連絡がつかない」
「どう動けばいいか考える」
「何かをなくしてしまう」
「手続きのことを気にしている」
といった場面に姿を変えて現れることもあるのです。
夢は心の奥にあったものを少しずらして見せる
こうしたことを考えるにつけ思うのは、夢とは
「これを考えていたから、これが出てきた」
と単純に説明できるものばかりではない
のでしょう。
むしろ、最近心がふれていたいくつものことが、
少しずつ材料になって、
夜のあいだにひとつの物語へとまとめられていく。
そんなふうにして生まれる夢も、少なくないと思うのです。
夢は、本人が意識していたことを
そのまま映すとは限らなし、
少しずらした形で見せたり、
別の人物や出来事に置き換えたりしながら、
ちょっとわかりにくい形で
心の奥にあったものを表すこともあります。
だから、
「特にそのことを考えていたわけではないのに、
どうしてこんな夢を見たのだろう」
と感じるのも
ごく自然なことで、
一つの強い原因から生まれるのではなく、
その日の暮らしの中に散らばっていた小さな気がかりや印象が、
夜のあいだにひとつの場面へと縫い合わされて、
夢のストーリーが生まれることもあるのでしょう。
また、日常を少し振り返ってみたときに、
「ああ、あの会話も、この気がかりも入っていたのかもしれない」と、
後から輪郭が見えてくることがあります。
私が見た夢は、遠方の両親のもとへ急いで駆けつけようとする夢でした。
その夢の中には、携帯電話を落として飛ばされる場面があったり、
どこか過去を振り返るような感覚も含まれていました。
あとから思い返してみると、その日は
「時間の流れ」を感じる要素がいくつも重なっていたのでした。
久しぶりに会った友人の姿に、年月を感じたこと。
亡くなった友人のことを話したこと。
年に一度、思い出を語り合う約束を果たせたこと。
そうしたものが、心の深いところで、
「変わっていくこと」
「失われること」
「それでも残るつながり」
に静かにふれていたのかもしれません。



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