私達は、夢だけを見続けることはできない、
夢は、
現実から切り離されて存在してはいません。
誰かと過ごした時間、
季節の区切り、
疲れや、安堵、
「今日は休もう」と決めた一日。
そうした現実の断片がなければ、
夢は語る言葉を持たない
のです。
夢の解釈では、よく
「現実逃避」という言葉が使われますが、
夢の本意は
現実から逃がすためではなく、
現実に戻すためにあるのかもしれない、
夢の中で、
感情を回収し、
役割を整理し、
一度、包んで手放す。
そして、
少しだけ軽くなった心を、
また日常へ返す。
夢を見つめることは、大切です。
けれど、夢を分析し続けるだけでは、
本当の明確さには届かないことがあります。
人は、
考え抜いたあとではなく、
実際に一歩動いてみたときに、
「ああ、私はこうしたかったんだ」
「これは、もう違うのかもしれない」
と、自分の輪郭を知ることがあります。
今あるものをどう使うか。
今の自分にできる形で、どう創造していくか。
その試行錯誤の中で、
心は少しずつ花開いていくのです。
そして多くの場合、
探し求めていた答えそのものよりも、
探しながら歩いた時間のほうが、
私たちに深いものを教えてくれます。
そうしていつしか、
表面的な出来事の向こうにあるものを見つめる力――
物事の奥に流れている意味を感じ取る洞察力が、
静かに育っていくのかもしれません。
夢がすぐに答えをくれないことは、
失敗でも、停滞でもない、
それは、
人生がまだ動いている証拠です。
夢は、
立ち止まった人には多くを語らず、
生きている人にだけ、続きを渡す。
夢は、
理解させるためではなく、
生きさせるためにあり、
答えを渡すものではない、
現実へ戻るための、
静かな道しるべなのかもしれない。



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