思いやりが力に変わる/善意の中で感じる「迷いと責任」/それは、自身をも癒す?

例えば、
強制的にボランティアに参加させられたり、思うように進められない
夢だとしたら、
善意が義務のように感じる出来事が何かあった
のかもしれません。あなたは、
誰かを助けたい、役に立ちたい
という優しい思いを持っている人です。けれど、いまは
「本当に自分は望んでこれをしているのだろうか」
「誰かの期待に流されているだけではないか」
という戸惑いを感じているのかもしれません。
たとえ人のための行動であっても
そこに自発性や喜びがなければ、
心のどこかに疲労や虚しさが生まれてしまうのです。
私は、地域の行事に参加したあと、年配の女性たちが集まり、
「女性をサポートするためのチラシ」を作成していました。自分もその一員として突然作業を任され、
朝から地域のポストにチラシを配るよう指示されます。けれど、まだ引っ越して日が浅く、地名も土地勘もなく、
どうやって配ればいいのかもわからない。
さらに、自転車のチェーンが外れてしまい、思うように進めません。「どうしてこんなことになってしまったのだろう」
「最初から断ればよかった」と後悔を感じながら、
周囲の人が早々と仕事を終えていくのを見て、
自分だけが取り残されるような絶望感に包まれます。
この夢のボランティアは、
夢主の中にある「人の役に立ちたい」という優しさと、
「無理をしてしまう責任感」の両方を象徴しています。
強制的に任される、土地勘がない、自転車が壊れる──
これらはすべて、
準備が整っていないのに、周囲の期待に合わせて動かざるを得ない
心理状態を表しています。
「善意」から始めたはずのことが、
いつの間にか「義務」「重荷」に変わってしまうとき、
人は無力感や後悔を覚えます。夢主は、夢の中で
「これでは夜までかかってしまう、でもやり遂げなくてはならない」
と思います。それは、
夢主の根底に“誠実さ”がある証拠、この夢は
「人に尽くすあり方」を見直す時期が来ている
ことを告げています。
人のために何か行動を起こしても、必ずしも全員に受け入れられるとは限りません。
ネガティブな反応を示す人もいるでしょう。
それは、その人自身が人生につまずいているのだと考えてみてください。
けっして、ボランティアという行為そのものが悪いわけではない、
夢主は、夢に
そこに“自分の心”が置き去りになっていないか
問われていたのです。夢の中で
「やり方がわからない」「疲れる」「後悔する」などの感情があったら、
夢が
あなたの優しさを、もっと自然な形で生かして、
と告げているのかもしれません。
奉仕=「犠牲」ではないのです。
“喜びの循環”として行うときに、最も深く世界に響きます。
無理して誰かを助けるより、
心から笑顔で関われる範囲を大切にすることが、
あなたの真のボランティア精神です。



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