記憶にございません( ̄▽ ̄)/思い出す――置き去りにした自分の一部”を回収する
夢の中で、ある記憶をたどったり、何かを思い出そうとしていたら、
それは、無意識が
過去の体験や感情を再接続しようと試みている
ことを示しています。
人は
辛い出来事や、受け止めきれない感情を一時的に「心の倉庫」にしまいます。
「思い出す夢」は、その倉庫にアクセスして、
“封印していた何か”を安全な形で統合し直そうと心が働きだしたこと、
これまで
暗闇で(息を殺し)身を潜めていた感情が、
癒しを求め、光のもとに出よう
としていることを告げています。
対して、
「記憶がない夢」は、まだ統合できていない領域であること、
心が防衛している。まだ触れたくない部分
なのです。
二つは、「忘却と回復」という流れの両端にあります。
ある夜、私は自分が過去に殺し屋の黒幕だったという事実を思い出してしまいました。
それをずっと隠して続けながら、普通に生活をしていたのです。その証拠となるような写真をもっていました。私は屋根裏部屋に行きました。
どこかに葬らねばならない、と思っていた矢先、娘に見つけられてしまいます。
もう逃げられない、すべて終わった――そう思った私は、自主を決意しました。
この夢が、あまりにリアルであったために、夢主は
まるでそれが事実であったかのように思い悩み、出頭のために
家族を呼ぼうとまでしていました。
ご本人にしてみれば、恐ろしかったに違いありませんが、
最後まで夢を見た(夢の事実に向き合った)、ということに、一つの重要なポイントがある
ように思います。
屋根裏は、無意識の象徴であり、
隠していた写真は、「見たくなかった自分の記憶」です。
それを娘(=次の世代、未来、または内なる純粋な意識)に見つけられるというのは、
心の中で真実が明るみに出たことを示しています。
私たちには普段、自分だと認めたくない、見たくないと思っている側面があります。
怒り、嫉妬、支配欲、恐れ……。
それらを否定し続けると、心の中で“黒幕”のように動くようになる、
それを“思い出す”というのは、
その影をようやく受け入れる準備ができたということ。
つまり、「自分の中の闇と和解する段階」に来た、ということに他なりません。
自分の気に入らない感情や運命を抹消したり、抑圧し抑え込むのではなく、
正しく“動かす力”として統合していくとき、それらは光に変わるのです。



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