同じ景色の中から、何を見つけるか
夢の実例|散策路を飛ぶ鳥を観測する
夢の中で、私は鳥が飛んでいく様子を撮影しつづけていました。
鳥が飛んでいたのは、散策路の入口や出口で
なんとなく存在している道ですが、私にはその先は森林の中へ続く路になっていることがわかっていました。
私自身も三脚も、夢には登場していません。それでも、カメラを一定の場所に据え、そこを通る鳥を継続して撮影しているような感覚がありました。
初めは、その世界へ続く道に興味があり、そこを飛んでいく鳥を興味深く眺めている夢だと思いました。
しかし、夢の感覚をたどっていくと、ただ鳥を観察していたというより、そこを行き来するものの動きを継続して捉える――何かを観測しているという言葉のほうが近いように感じられました。
◆観察することと、観測すること
観察には、目の前にあるものへ意識を向け、その姿や変化を詳しく見るという意味があります。
一方、観測には、一定の場所や条件から現象を継続して捉え、そこにある動きや流れを確かめるような響きがあります。
鳥を追いかけていたのではなく、
こちらから何かを起こそうとするのでもなく、決まった場所に視点を置き、そこへ何が現れ、どのように通り過ぎていくのかを見ています。
もし、そこを人が行き来していたなら、その表情や事情、互いの関係性に意識が向いていたでしょう。
しかし鳥は、なぜそこへ来て、どこへ向かうのかを説明しません。ただどこからか現れ、日常の道と森林との境界を越え、再びどこかへ飛んでいきます。
この夢では「誰がどうした」という個別の出来事よりも、何が現れ、どちらへ向かい、どのように通り過ぎていくのかという、流れそのものを捉えやすかったのでしょう。
一羽一羽について詳しく知りたかったというよりは、その場所で起きている動きや変化を、継続して見届けようとしていた、
鳥そのものだけではなく、日常の道と森林の散策路との境界で、何かが行き来する様子を記録していた
ということではないでしょうか。
◆私たちは、自分の経験というレンズを通して見る
同じものを見ても、誰もが同じように受け取るとは限りません。
たとえば、二人の人が同じ映画を見終えたあと、まったく異なる感想を持つことがあります。
一人は笑えた場面について語り、もう一人は物語の矛盾ばかりを覚えているかもしれません。二人とも同じ映像を見ていたはずなのに、心の中に残った体験は違います。
私たちは、ただ目の前にあるものを見ているのではありません。
それまでに経験したこと、大切にしてきた価値観、そのときの気分や関心など、さまざまなレンズを通して物事を見ています。
そのため、自分には当然と思えることを、ほかの人がなぜ違うように考えるのか、理解するのが難しいことがあります。
しかし、「どうして、この人にはそう見えるのだろう」と好奇心を持つことができれば、思い込みが少しずつ理解へ変わっていくことがあります。
観察するとは、自分の見方だけを正しいと決めることではなく、自分とは異なる見え方があることに気づくことでもあるのでしょう。
◆何を探しているかによって、見えるものは変わる
私たちは特定の答えを探していると、それ以外のものを見落としてしまうことがあります。
足りないところを探していれば、不完全な部分ばかりが目に入ります。しかし、すでにうまく形になり始めているものへ意識を向ければ、小さな変化や可能性にも気づけます。
ただ都合のよい結果を期待しているのではない、
問題がないふりをするのではなく、一方的な見方だけでは見落としてしまう可能性を、同じ景色の中から見つけることです。
また、思いがけない何かを見つけることもあります。
一つの結果だけを頑なに追い求めていたら、そこにあることさえ気づかなかったもの。
けれども、好奇心を失わずにいれば、偶然見つけたものが、探していた答え以上に大切なものになることがあります。
人生が予測どおりに進まないからこそ、観測を続ける意味があるのかもしれません。
◆一歩引くことで、見えない糸に気づく
人生では、いくつもの異なる問題が同時に起きることがあります。
初めはそれぞれが無関係に見え、一つずつ別の方法で解決しなければならないように思えます。しかし、一歩引いて全体を眺めてみると、一つの根本的な問題が、すべてに影響を与えていることがあります。
まるで、目には見えない一本の糸が、別々の出来事を結びつけているかのようです。
近くで詳しく見る「観察」が必要なときもあれば、少し離れた定点から流れを捉える「観測」が必要なときもあります。
一つ一つの出来事だけを見ているとわからなかったことが、全体の動きを見つめることで、初めて明らかになることがあります。
◆過去を見る目も、少しずつ変わっていく
過去に起きた出来事そのものは変えられません。
けれども、それを見る自分は、経験を重ねながら変わっていきます。
以前は失敗としか思えなかった出来事の中に、今の自分なら、その後につながった小さな意味を見つけられるかもしれません。反対に、長いあいだ続けてきたから手放せないと思っていたものを、今の自分の目で見直すこともあります。
粘り強く続けることが必要な場合もあれば、自分の時間やエネルギーも大切なものだと認め、別の道を選ぶことが必要な場合もあります。
大切なのは、これまでどれだけ力を注いだかだけではなく、これから、どのような未来をつくりたいのかという視点で、もう一度見つめてみることなのでしょう。
◆同じ場所が、入口にも出口にもなる
夢に出てきた散策路には、入口と出口がありました。
しかし、ある鳥にとっての入口は、反対側から来た鳥にとっては出口かもしれません。同じ場所であっても、どちらへ向かっているかによって意味は変わります。
私たちが「終わった」と思っている場所も、別の見方をすれば、次の道が始まる場所です。
森の中へ入る前に、先のすべてを知ることはできません。
これから起きることを正確に知ることもできない、でも
次の一歩を踏み出すことはできる、
私たちは以前にも、先のわからない出来事に出会い、そのたびに考え、適応しながら進んできました。その経験は、意識している以上に、今の直感の中へ蓄えられています。
◆答えを決めずに、見つめつづける
夢の中の「私」は散策路へ入っていかず、その入口と出口を鳥が飛んでいく様子を、定点から撮影しつづけていました。
それは、今すぐ結論を出すのではなく、まず、そこにどのような動きがあるのかを見つめる時間だったのかもしれません。
最初から一つの答えを当てはめるのではなく、夢の中に何が現れ、どのような流れで場面が変わったのかを見つめると、初めは無関係に見えた場面の間に、共通する意味が浮かんでくることがあります。
観察し、観測することは、ただ立ち止まっているわけではなく、
まだ形になっていないものを急いで決めつけず、現れ始めている小さな兆しに気づくための時間です。
最終的にどこへ行き着くのかばかりを考えるのではなく、今、目の前に現れているものを見る。そこから感じたことを大切にし、次の一歩を選ぶ。
未来は遠い場所で、完成した形のまま待っていることはありません。
それは、私たちが今見ているものと、今選んでいることによって、静かに形づくられていくのでしょう。
そして、すべての終わりは、別の何かの始まりでもあるのです。




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