急に、あの時の自分を見たくなった。
その思い出や記憶が必要だということ。
写真の中には、
あなたの知っている感情があります。
現在に至るまで、一つひとつ味わい大切にしてきた感情。
その自分にフェーズを合せていくと、その都度のあなたに親しみを感じることができます。
自分の撮った写真には、
あなたの
主観的な感覚が表れています。
それに対し、振り返る行為は客観的です。
記憶の見直し。
喜びもあり悲しみもあり、今ではおかしく感じられさえする不条理な怒りなど、
あなたが刻々と感じてきたことをなぞる
ことができます。
自分の気持ちや、思い込みに気づくこともあります。
あなたが何を愛し、何を欲して生きてきたのか、
或いは
ふり返ることで、ずっと当たり前だと思ってきた何かの価値に気づけることもあります。
手にとった写真は、その中でも心惹かれる一枚。
今のあなたに必要な人格。
その時のあなたが、
今立ちはだかっている問題の解決に役立つ
のかもしれません。
何でもないことが、後になって実は大きな意味をもっていたと判ることがあります。
そういう意味で、
あなたの過去は、記憶されることで引き出したり利用することのできる「遺産」
であったりします。
現実の世界で必要な時写真を取り出すように、記憶も普段は無意識の貯蔵庫の中に収納されています。
過去その場所を通ってきたことを
あなたが譬え忘れてしまっていても、「写真」を見て思い出すことができます。
それを、計画的にも偶然的にも引き出し、利用することができます。
想像を働かせれば、その生い立ちや取り巻く環境から、
その感情が誘発されるもとになった経験がわかる
こともあります。
「その感情は正当な起源をもっている」と、証明してくれます。
もしも、
不愉快な感情のしこりを十分説明することのできる事情を過去の写真が教えてくれたら、
あなたはその傷を癒し、はじめて手放すこともできる
でしょう。
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