ストレスと楽しみ、両方が入り混じっている。
夢の「ゲーム」は、
あなたが人生を楽しむための秘訣
を伝えています。
自分の対処の仕方や姿勢について、
まずは気楽に試してみようというわけです。
ルールが解らないうちは楽しくありませんが、
そこから努力してルールを覚え、闘い方を学んだあとは、
ゲームを心から楽しめるようになる、
人生も同じです。
私達は、先に進むにつれ、それぞれに
厄介なテーマを抱えて生きている、とわかるようになります。
夢が、
物事を真剣に考え過ぎているあなたに、
想像しているほど、リスクは高くないよ、
と告げている可能性もあります。
簡単ではないけれど、重要で、やりがいがある、とわかってくるにつれ、
取り組みは楽しくなってきます。
チェスも将棋も囲碁もオセロも、それらの駒が勝手に動くせいで困る
ということはありません。
ゲームは、普通プレーヤーの手で進められ、
プレーヤーの頭の中で繰り広げられ、
状況を何手も先まで読み、
リスクを引き受けた上で、思い切った選択を重ねていくのです。
第三者的な立場にあるとき、私達は
その人がなにかと「闘っている」ようには、とても見えないけれど、その人の心の中では、
状況を何手も先まで読み、リスクを引き受けた上で、
思い切った選択を重ねているわけです。
時には一歩引き下がり、
見物人になったつもりで観察してみるのも手です。
大局的なものの見方ができると、
どれが最良の選択肢なのかが見えてきます。あとは、
決めの一手に出られるだけの勇気をもつ
だけです。
クリアしたあとは、大きな達成感を得られます。
「仮想空間」を楽しむゲームもあります。
かつては
「別世界」であり、「虚構の自分」でしたが、
今では、「現実」であるかのような緻密さで描かれ、
ゲームの中で、私達は別の容姿、別の性別、別の性格になることが可能です。
つまりは「なりすまし」です。
自分の人生がその中に入り込むような体験、
合体させていく創造。
違う自分になりたい、違う世界を手に入れたい、という希求。それを
「現実逃避」といってしまうこともできますが、
疑似現実
を生きているともいえます。
虚構の先に、
自分の底力を見ている
のかもしれません。
どんなことも
頭で理解するだけでは不十分で、
そのルールを十分理解できるようになってこそ、本気で楽しめるようになります。
幾ら哲学的なことがわかっていても、チャンスを活かさなければ
知らないのと一緒です。
経験回数・質ともに大切ですが、センスを身に付けることも必要です。
優れたプレイヤーは、決して自分の手の内を見せません。
よく観察し、戦略を練る必要もあるでしょう。
上達するにつれ、楽しむ意欲も増していきます。
夢は
予行練習・シュミレーションであり、あなたの人生そのものがいつも「本番」です。
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