悲しいけど、前を向いて生きていかなくてはならない。
葬式の夢は、自立を表す夢
として、浸透しています。
葬儀は、亡くなった人のためというより、
残された人が、人生をよりよく生きるため
であるといえます。
誰かが亡くなったら、お葬式を行う、それが宗教的なものでないとしても、
私達はその代わりになるものを求めずにはいられません。
死には、合理的思考だけではとらえきれないものがあり、
親の死や執り行われる葬儀が
親から自立しようとしていることを表す
のも、同じような心理的メカニズムが働いている
ということなのでしょう。
若しくは
自立できずにいること。
夢のシーンによっては、
自立できていないダメな自分、と言われているような気がするかもしれませんが、
ある人との別れを悲しいと思う、離れるのを淋しいと思う気持ちや、
ショックから立ち直ろうとしている
可能性もあります。
若しくは、
実際に体験するであろう
悲しみの衝撃をやわらげるために、
夢の中でリハーサルしていることもあります。
物事が一区切りつく、ある時期にあること。
例えば、
あなたに子供が生まれたり、家族と離れて生活することになったり、新しい家族ができるなど、
生活に変化が生じれば、
その立場に相応な、新しい心構えが必要になります。
その人との
あらたな関わりあいを受け入れる必要がある、
ということ。
それは、
自分とずっとともにあると思っていたものと決別の時がきている
ということであり、
身の丈に合わなくなった役割を脱ぎ捨てなくてはならないという
ことでもあります。
人生の移り変わりによって生じる「辛さ」を、夢が「死」という形であらすことがあります。
葬儀は行われていたけれど、「死体」や「死」には直面しないこともあります。
誰かに聞いてわかったとか、いつの間にかその場所にいたなど、
そうしておけば、悲惨な姿を目にすることもなく、それが起きたあとも
記憶に残る心配がないという、夢の配慮であったりもします。
葬儀だったのに、なぜか悲しみは少なくて、
みんなで歌っていて、賑やかで楽しかった、
という夢を見る人も、少なくありません。
このような夢の場合は、
自分のあるべき姿に立ち返ろうとする
気持ちの表れと言えるでしょう。
中には、
みんなで歌を歌う
夢を見た人もいます。
音楽が癒していたのかもしれないし、
新しい自分になりたい、と考え、
その変わっていく方向と、この歌が感情的に繋がっていた
という可能性もあるでしょう。
これまで対立関係にあったけれど、
長い月日を振り返り、深いところで和解しあえた、
すっきりとした気持ちがあるのかもしれません。
死 亡くなった人が登場する 参照
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