自主性、生きていく力そのもの。変容。
現実の問題への取りくみ方や、その必要性について
が示されています。
その素材が持っている力
を頂くこと。
私達が、日々何かを食べて育ってきたように、夢で食べるものは、
あなたが変容していくために欠かせないもの、
自己保存に必要なもの
です。
ただ、あなたの
興味関心とリソースとが噛み合わないと、うまく吸収できません。
楽しみ、幸福感を味わう行為、味覚の美味しさはご褒美です。
自分の外の世界にあったものを取り込み、
自分の一部にしてしまうこと。
他者とのつながりを通して、心に栄養を与え、育む行為。
食べることは「快楽」でもあります。嫌いなものの場合は「苦痛」を感じます。
そうした感覚的な「幸福感」は、考えているより単純ではないかもしれません。
私達は、
自分にとって害のあるもの
からは、離れようとするし、
「好き嫌い」の価値判断が、私達動物の行動の基本になりますから
生き残るための基本的な戦略
という可能性もあります。
そうしたことを踏まえて意味を考えると、面白い発見があるかもしれません。
「快楽」というところでは、
(料理をつくるという)充足感もあれば、(素材などの)素晴らしさを知ることもあります。
産地(出どころ)を知り、調理方法(そのプロセス)を知ることで喜びを感じたり、
旨味が増したりもします。
このことは、私達が何かを取り入れ、喜びを感じるためには、
感覚的に快楽を感じるだけでなく、
「知的」な快楽も両方大切であるということです。
感覚が駆動しなければ、知的な快楽もなく、
欲求は別々で考えることはできないのです。
私達が
これから取り入れようとしているものについて、関心を払い、
進行していることに集中し、吟味することが大切です。
あなたは、何かを渡され、いきなり「食べる」ことはないでしょう。
まず見て、においを嗅いだり、触ったりして感覚で楽しみ、味わいます。
あなたにとって苦手だと感じても、他の誰かは美味しいというかもしれません。
「食べる」という快楽の経験は、人間の経験と同じくらい様々です。
それは、
身体を通して経験された後で、頭の中で処理され、記憶したり言葉で表現されます。
なので、
食べていた物が
あなたの体に与える影響について、知識をもつように、
と言われていたのかもしれません。
自信を感じるもとになるものを食べていたかどうか
が鍵です。
夢の中の「食べすぎ」は、
健全な程度を超えて、欲求が増幅しています。
自然で正常な状態を超えて
余計なことをしている、
何かに耽溺・依存しがちになっている
可能性があります。まずはそれを自覚する必要があります。
夢で提供された食べ物を摂らなかったのは、
その問題に取り組まないという決意
の表われです。
突き詰めれば、
誰が何を食べようと、人にとやかく言われることではない、
それは個人的なことです。
その食べ物が意味する戦略や判断は、
あなたにとっては有害
であるのかもしれません。
食事 参照
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