これから変わっていく自分
いままで自然に働いていた能力が奪われ、
誰かから批判を浴びせられたり、不満を持たれているのではないか、
とおびえている可能性があります。
その一方で、
希望を捨てたくない気持ちもあること。
何かが弱っていたり、
調整を必要としていること。
「痴呆症の身内と一緒にいる」夢も、あなたが
そうした存在を抱えながら生きている
ということです。あなたの中には、
尊厳性を失いかけている者(生命)がいて、
その心を救う必要があること。
普段はそう思ってないかもしれないけど、
ふとした瞬間に
自分は手のかかる存在で、
厄介者だと思われるのではないか、という気持ち
になることはありませんか。
「親が認知症になる夢を見た」人がいるのですが、
「無職で、将来に不安を感じている状態」で、
「親を安心させることができない、大事な話もしていない今の状況でこの夢が現実になるのだけはだめだと思った」
そうです。
私達は、長い人生の中で、何度も「失う」経験をします。
とりわけ
人生の後半に差し掛かると、そうしたことを痛切に感じる時期があります。
がむしゃらに生きてきた人ほど、
「沢山のものを築き上げてきた、と思っていたのに、本当は
『何もなかった』と思い知り、切なくなる」
ということがあります。
「潮が引く」時のように、
一斉になくなり、何も残されていない、
と感じるのです。
(すべてうまくいっている、と思ってたのに)
心が重くなり、自分(の行動)に責任が持てなくなって、
自分で自分を傷つけるような考え方をしてしまうことがあります。
お前みたいなやつがいても、みんなの邪魔になるだけじゃないか、
などのように。
でも、
受け止めてほしい(無条件に愛されたい)
という気持ちもあって、心が定まらなくなります。
どうしてそうなったのだろう
と思案することに、あまり意味はありません。
事態は変えられないとしても、
受けたダメージを小さくする
ことならできます。
諦めるのではなく、
許容し、幅を広げていく
こと。
抜け落ちたものを
無理に埋めようとするのではなく、
こんなものかな、と柔軟にとらえることも大切です。実際、
完璧な人生を生きる必要はないし、
4割はうまくいかない、6割うまくいけば十分
と考えることが大切だ、と言われています。
痴呆症(認知症)は、
赤ちゃんのような、純粋無垢な自分に戻るのとは違います。
酸いも甘いもかみ分けてきた、傷だらけのあなた、
元の形には戻るのではなく、
痕跡をとどめながら生きていくこと。
刻まれた記憶、思い出を丁寧に修繕し、
新しい衣装をまとわせ生きることが大切です。
何かが寿命が尽きそうなときを迎えてなお、想像力と創造力をもって
新たな価値と生命をふきこみ、
自分を蘇らせていく必要があるということ。
この夢を見るあなたは、
これからの人生の迎え方、過ごし方を一生懸命考えている
のでしょう。
つまるところ、どのような状況にあっても、
魂が歓喜するよう生きるのが一番です。
その反対に、本当にしたいことから遠ざかってしまえば、どんどん
陰気臭い表情になっていってしまいます。
なにより、それ(生きながらの死)が一番辛いことです。
いまやるべきことは、
何かと闘って勝利することでも、努力が実るよう祈ることでもなく、
変化を否定せず、新しい態度で臨むこと
です。
古い常識からの解放。
よりよく暮らしていくために
本当に必要なことは何なのか、
ー自分の魂が喜ぶためには何ができるのだろう、
そうして必死に考えているうちに、
自分の中に残されている、
小さなシードを見つけることができます。
そこから、新しい生き方が始まっていきます。
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