人として成熟していくプロセス、それには、深い意義がある
新たな門出。
新しい段階へのシフト。
その自覚と誇りが備わったこと。
人が生まれてから死ぬまでの間には、様々な成長の節目があります。
「成人式」に限らず、誕生祝い、歳時、七五三、結婚式などなどの
儀式が行われることにより、私達は
次の段階へ移行しやすくなります。
夢の儀式は、
変化を受け入れよう、
という心の態度を表すので、
いよいよ次の世界に参するぞ、という自覚の表れともいえます。
現実の「制度」としての儀式に比べ、「内的な体験」が重視されます。
私達は、成人したらタバコが吸える、酒が飲める、○○できるといったふうに、
現実世界においては、日常的な圧迫を解くものとして考える傾向にあり、
そこに内包する意味を明確に知ることなく行為します。
夢の儀式は、それが持つ意味を明確に意識化する努力をしてきたことを表し、
世間からは「おめでとう!」「やったね」と思われているなかで、自分だけは
ずっしりとした社会的な立場の重みの前で、喜びに勝るプレッシャー
をひしひしと感じているかもしれません。
この変化は、強制的なものではなく、
あなたの意志によって選択されます。
とりわけ、「卒業」の意味をもつ儀式は、
自分の願う未来を実現するための、いくつかの条件を勝ち取った証
であり、
紆余曲折、試行錯誤、暗中模索から「抜け出した」という感じがあるかもしれません。
「入門」の段階では、そのレベルに追いつこうと
緊張感やプレッシャーの中で闘っているとしても、
ある程度解ってくると、面白くなり、
どんどん探究したくなるだろうし、
「もっと力を伸ばしたい」という野心に火がつき、
次の段階へと進んでいくような時にある、
社会的に
より大きなものを引き受けてゆこうとしている
可能性があるでしょう。
本当の人間的な力を必要とするテーマのまっただなかに身を置いているのです。
否定的な夢であっても、状況を客観視しているわけで、
例えば自意識と理想化とのギャップ、
自意識と理想化とのギャップ、家族の中での理想像との葛藤など、
何かがずれてしまってうまく乗り切れない、
ということなのでしょう。
山の峠のようなところにいて、その後の人生に大きく影響を与えかねないような、
人生の危機(精神的な意味での)を迎えていることを表しています。
成人式は、実際の成人式よりも
綺麗で華やかさがあったり、晴れやかな気持ちになるかもしれません。
それだけの力をつけた、自分の力を使えるようになったこと。
例えば、親が子供の成人式を夢に見ていたなら、
大変な中を、よく乗り越えてきた
という気持ちが働くような経緯があったのではないでしょうか。
新しい
自分の世界を開き始めたこと。
その成長ぶりを、
反省や喜びの中で見届けているのでしょう。
「成人式」は、
思春期から成人に移行する儀式であるため、
未開の社会の中では、命がけの試練
であったりもします。
その年齢に達した者達は、神に守られた場所に隔離されたり、部族に伝わる秘密を教えられるなど、
大人の社会に加入するための資格を与えられ、
それにより「命を落とすことさえもある」覚悟が要る儀式なのです。
中途半端な存在では生き残っていけない
ということを示していたりもします。
否定的には、形だけ維持して、本来なら働くはずの力がないこと。
そのため、
安心して生を営み続けていく気がしないのではないでしょうか。
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