糸から極上の一枚を仕上げるには、
目には見えないものを受け止める「感性」と、形あるものへとかえていく「知性」(格闘する人の力)が求められる
どんなに複雑なものであったとしても、布(生地)は、
経糸と緯糸の関係で成り立っています。
私達は、
経糸という最大限の人生の中に、
「経験」という緯糸を織り込んでゆきます。
仏法の「経」は教えを意味しますが、元は「縦糸」のことでした。
機織りの縦糸が最初に設定されていて、ずっと変わらず続くように、
「不変性」「永遠性」を表します。
なので、
こう考えることもできます。
経糸は時間であり、「必然」、
緯糸は空間であり、「偶然」である、と。
私達は、必然と偶然との交差の中で、
様々な出来事や他者との関わりの中で、自らの生を織っている
のです。
「自分は
なんの変哲もない日常に生きている」
あなたがそう思っていたとしても、
ささやかな いろいろなものをより合わせ、
なんとか「一人の自分」としてのあり方を作っているはずです。
生地や布は、
まだ加工が施されたり、染め上げられてはいない
素地
と捉えることもできます。
自分、或いは他人の基本的傾向。あり方。
それは、外側の
何をとっぱらっても残るものであり、
例えば
それを大事にしなければ、
いいものを創作していけない、といったことを考えているかもしれません。
「危機には、人間の生地が出る」などという言葉もあります。
その傾向を変えていくのは難しいとしても、
いろいろなことを試みることが、無意味というわけではありません。
変えようとして努力したり、鍛えたりして、
現実に適応する有効性を高めていくことはできる
わけで、
ストレートな道を行くより、廻り道の多い小径をゆくほうが、
豊かな人生であるともいえます。
何か危機的な状況にあって、思わず素地(傾向)が出てしまうにしても、
やはり、鍛えらえているもののほうが役に立ちます。
「大きな布を広げる」夢を見た、
という人がいます。
その布は、光の反射にあわせてカラフルな色にかわってゆき、やがて
素敵な色あいに変化していった
そうです。
「色がカラフルに変わっていく」夢は、
夢を見たその人の心の状態がよくなっていくことを表します。
光は「明確な意志」や「気づき」、「目覚め」を意味し、
「広がる」は、新しい展開、
「その先に繋げよう」という意識が高まってきたことの表れといえるので、
理想を実現化していくためには、
自分の意志や能力に光を当てていこう
という気持ちが高まっているのでしょう。
私達人間は、誰しも
自分のことを表現したい、何かを創造したい、
という欲求を持っています。
みんながみんな、芸術家や作家として身を立てられるわけではない
としても、
内に抱えているものを外に出したい、
というのが自然な欲求です。
夢を見た女性は、ちょうど職探しをしていましたが、
「効率よく稼ぐ」というところにフォーカスしていて、
自分の才能を生かす
というところには、目をつぶっていた
可能性もあります。
あなたが、このような
ー 布を広げたり、布を前に作業する夢を見たら、
よりポジティブな視点から、未来のビジョンを描き直すことが大切です。
また、
地道な活動を通すことと、創造性を発揮させること
の二つを意識しましょう。
それをすることは
自分の好奇心を満たすだろうか、知性や向上心が豊かになるだろうか、情熱が湧くだろうか、
ということも、自身に問いかけてください。
自分の魂が蝕まれ、
生きていく気がなくなる
ようなことは、しないでください。
「嫌々ながらする」ことに、感謝の気持ちは湧かないものです。
闘志も夢も湧かないのだとしたら、そうした方向に努力しても、
幸せを創っていくことはできないでしょう。
「風呂敷」のように、何かを包む役割としての布は、
保護や安心が欲しいという気持ちの表れです。
「布をかける」のは、
目隠し=秘密を隠そうとしている可能性があります。
誰かがあなたにやさしく
布を掛けてくれたら、その人には
「あなたに信頼されたい、護りたい」という気持ちがあるのでしょう。
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