何か重要なことに気づく必要があったり、
ある事実を思い出すために
「音」が使われることがあります。
例えば、
実際にはアラーム音は鳴っていないのだけど、夢の時計のベルに起こされた、
といったことがあるかもしれません。
苦手な授業で教師にあてられそうになり、ベルやチャイムがなって、
ほっとした経験はないでしょうか。
夢では、自分の生命に関わるような体験をすることがあります。
その衝撃的な体験を受け入れられず、危うい危険にさらされたところで、
はっとして目覚めることがあります。「チャイム」やベルがなくても、
「これは夢なのだ」と自覚さえすれば、その悪夢はかき消え、恐怖を削ぐことができるわけです。
でも、
夢という自覚がなく、助けが来ないまま、ストーリーが進展していくとしたらどうでしょう。
夢は、
形は変えないけれども、場面を切り替え、
恐怖をもたらす力を失くす
という、巧妙なこともやってのけます。
チャイムが鳴って「ほっとした」のだとしたら、
夢の構想力が非常に強く、その結末を受け入れるのが辛かった
のかもしれません。
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