夢は、眠りのどこにいるかによって、少しずつ違う顔を見せる。
夢を記録していると、不思議に思うことはたくさんあります。
夜中にふと目を覚ましたときに見ていた夢と、
朝方に見ていた夢では、同じなのかしら。
それに
眠ったのか眠っていないのかわからないような、
うつらうつらした時間に見る夢は、どお?
ほんのわずかな時間だったはずなのに、ずいぶん長い出来事を経験したように感じたり、
夢を見ている自分と、その夢について考えている自分が、同時に存在しているように感じたりすることもあります。
同じ「夢」と呼んでいるものでも、
私たちは眠りの深さや、目覚めまでの距離によって、少し違った夢の世界を経験しているのかもしれません。
◆夜のはじめと朝方では、眠りそのものが違う
人の眠りは、一晩中ずっと同じ深さではない、
これについては、たぶん多くの人が知っていると思います。
眠っている間には、レム睡眠とノンレム睡眠が繰り返されている、と。
そして一般に、眠りについたあとの前半には深いノンレム睡眠が多く、朝が近づくにつれてレム睡眠の時間が長くなっていきます。
夢はレム睡眠だけで見るものではありませんが、レム睡眠では、
人物が登場する
場面が次々と変わる
感情を伴った物語が展開する
といった、私たちが「夢らしい夢」と感じる体験が生じやすくなります。
そのため朝方の夢には、
「ずいぶん長い夢を見た」
「映画一本分くらいの出来事があった気がする」
という印象を持つことがあります。
もちろん、本当にその長さだけ夢を見続けていたとは限りません。
ただ、朝方は目覚めにも近いため、夢の内容が記憶に残りやすいことも関係しているのでしょう。
◆夜中の夢は、切り取られた一場面のように残ることがある
夜中に突然目が覚め、
「今、何か夢を見ていた」
と思うことがあります。
けれど覚えているのは、
誰かの顔だったり、
ひとつの部屋だったり、
何かから逃げていた感覚だったり。
物語全体というより、夢の一部分だけが強く残っていることがあります。
夢そのものが短かったとは限らず、
目覚めた瞬間に拾い上げることのできた部分だけが、記憶として残った可能性もあります。
夢は、目覚めた途端に驚くほど速く消えていきます。
だから私たちが「見た夢」と呼んでいるものは、
一晩に経験した夢そのものではなく、目覚めた私が持ち帰ることのできた部分
なのかもしれません。
◆うつらうつらしているとき、現実と夢の境界は薄くなる
さらに不思議なのが、眠りに落ちる直前や、目覚める直前です。
まだ部屋にいることもわかっている。
外の音も聞こえている。
けれど、頭の中ではすでに別の出来事が始まっています。
現実に聞こえていたテレビの声や家族の話し声、雨音などが、そのまま夢の物語へ入り込むこともあります。
この状態では、
「これは夢なのではないか」
とどこかで気づいていたり、
夢の続きを見ながら、
「どうしてこんなことになっているのだろう」
と考えていたりすることさえあります。
完全に夢の登場人物になっている自分と、
その夢を少し離れたところから見ている自分。
その二人が、ほんの短い時間だけ重なっているようです。
◆夢を見ながら、考えている
私はときどき、夢の中で起きている出来事に参加しながら、同時にその出来事について考えていることがあります。
ただ夢に流されているのではありません。
「これはどういうことだろう」
「この展開はおかしい」
「こうしたほうがいいのではないか」
そんな思考が、夢の物語と並行して動いています。
夢から覚めて振り返ると、
眠っていた私は、本当に何も考えていなかったのだろうか
と不思議になります。
夢の中でも私たちは、感じ、判断し、ときには自分自身を観察しています。
とくに目覚めに近いところでは、「夢を見る自分」と「夢について考える自分」の境界が曖昧になりやすいのかもしれません。
◆二度寝の夢が、妙に鮮明なのはなぜだろう
朝、一度目を覚ましてから、
「あと少しだけ」
と再び眠ったとき。
ほんの10分、20分だったはずなのに、とても濃い夢を見ることがあります。
場所も人物もはっきりしていて、いくつもの出来事が起こり、
目覚めたときには、
「こんな短時間だったの?」
と思うほどです。
朝方はレム睡眠が現れやすいうえ、一度目覚めたことで意識も覚醒に近いところにあります。
そのため夢の内容を持ち帰りやすく、鮮明な印象として残ることがあります。
夢の中の時間と、時計が刻む時間は、必ずしも同じ感覚ではないことは不思議です。
数分の眠りの中に、ひとつの長い物語があったように感じる。
それもまた、夢の面白さなのでしょう。
◆朝方に見た夢だから「重要」なのではない
だとしても、
「朝方に見た夢は意味がある」
「夜中の夢は意味が薄い」
ということではありません。
眠りの状態によって、夢の鮮明さや物語性、覚えやすさには違いが生まれます。
夢を心の側から眺めるなら、大切なのは時刻だけではなくて
なぜ、その場面を覚えていたのだろう。
なぜ、その言葉だけが残ったのだろう。
なぜ、目覚めてもその感情が消えなかったのだろう。
と、
夜中の断片的な夢でも、ひとつの光景だけが何年も忘れられないことがあります。
反対に、とても壮大な朝方の夢だったのに、昼にはほとんど忘れてしまうこともあります。
夢の価値は、長さや鮮明さだけでは測れないのでしょう。
◆私たちは、夢そのものではなく「持ち帰った夢」を覚えている
私たちは、
「昨夜、こんな夢を見た」
と言います。
でも本当は、一晩の眠りの中で経験したものを、すべて覚えているわけではなく、
目覚めという境界を越えて、それでも消えずに残ったものだけを、
私たちは「私の夢」として覚えている
のです。
夢の記録とは、
夢の世界そのものを記録しているというより、
眠りの世界から、目覚めた自分のところまで届いたものを拾い集めている
ことなのかもしれません。
夜中の夢。
朝方の夢。
二度寝の夢。
そして、眠っているのか起きているのかわからない、うつらうつらした時間の夢。
それぞれに違った手触りがあるのは、私たちの意識が、眠りと目覚めの間を一晩かけて行き来しているからなのでしょう。
夢と現実の境界は、私たちが思っているほど一本のはっきりした線ではないのかもしれません。
眠りからこちら側へ戻ってくる途中で、
私たちはときどき、
夢を見ている自分自身に出会う。
そんな瞬間があるのだと思います。



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