心が感じる“境界の気配
夢に出てくる「死神」は、単なる「恐怖」の象徴ではありません。
それは多くの場合、
人生の節目
見えない力への畏れ
“終わり”と“始まり”の境界
何かが選別される感覚
を示唆します。
子どもの頃、祖父母の家に泊まりに行った夜、私は不思議な夢を2回見ました。
畳の仏壇のある部屋で家族と眠っていると、夜中に目が覚め、薄暗い室内に黒い影のような存在が立っているのです。話し声がひそひそと聞こえ、ごそごそと紙を見ながら何かを確認しています。
その影たちは家族の一人ひとりに手をかざし、
「これはよし」
と言うような気配で順に見ていきます。まるで「寿命が来た人を迎えにきた死神」そのもの。
ついに私のところへ来たとき、影は顔を見合わせ、
「これは違う」
と判断して、壁をすり抜けて消えていきました。
この夢からは、
家族を失いたくない気持ち、自分の存在意義を探す幼いこころ、見えない世界への強い感受性
が読み取れます。
家族を死神が順に確認し、自分の前で「これは違う」と去っていく夢は、
自分の存在がまだ必要とされている、命に“残された役割”がある
という、深い肯定の象徴
であったでしょう。
幼少期に繰り返し見る、というなら、
敏感な魂が“生と死”を直観的に感じている
のでしょう。
幼い心にとって“死”は理解が追いつかない大きな力
として存在します。そのため、
形がなく、言葉にならない「影」として現れることがあります。
昼間なら、論理的思考が排除してくれる、でも
視界がさえぎられているときは、論理的にものを考える力が失われます。
いろんな想像が次から次に浮かんできて、どうにもとめられなくなり、
ベッドの下にモンスターを創り出すこともあります。
ただでさえ、
仏壇の雰囲気は、「弔い」「供養」を目的とするだけに
(厳かな中にも)どこか暗く「悲しい」イメージが付き纏うもので、
それが
夜ともなれば、物も音にも不吉な感じを増幅させます。
仏壇=自分の世界や親族とのつながりということ以上に、
まだよくわからないもの
に対する恐れや不安のほうが強く働き、それが
自分を取り巻く世界にマイナスの想像を働かせていることもあるでしょう。
また、
人をよりよく生かそうとする「神」に対し、「死神」は、死へと誘う存在です。
未来に向かう喜ばしい準備とは対極にあり、ストレスをもたらす形で感情に残り続けます。
特に子供のころは
それについてどう向き合えばいいかわからない、適応できないし、克服のしようがない、
というところもあります。
大人が見るのだとしたら、
自分の感情をなんとかごまかしている、そっとしておきたい
思っていることが、何かあるかもしれません。
夢の「死神のような」人物は、
あなたが昼間目を背けている真実に
耳を傾けさせようと、忍び足でやってくる影であったのかもしれない、
上記のような夢に、何か警告や教訓の意味があるとすれば、それは
「今すぐではない」とたかをくくりがちなことに対して
「いざという時」がきて最も自分を守る力は、
常日頃の心がけや行動である、
ということではないでしょうか。
不吉な夢を見た、何かよくないことが起きる前触れなんじゃないか、
といった結論に飛びつく前に、
自分が考えるべき問題が含まれているのかもしれない、と考え、
人生をより多くの愛で満たすための変化を起こしゆきましょう。
死の宣告・余命宣告 神(らしき人物) 影 聖なる夢が示していること 参照



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