不気味に見えるが、愛嬌も感じる影
夢の意味環境・現象

不本意ながらも黙認していることがある?
1つには、

過去の経験や関係から、いまだに立ち直れず、

敗北感や劣等感に苦しめられていること。

 

例えば、

黒いモヤモヤした何かから逃げている

とか、黒いものから追われ続ける

夢を見る人がいます。

「光がある場所には、影ができる」、

これは、普通にわかることです。でも私達は、

自分が光の中に居る時は、影に居る人の気持ちを理解しようとしなかったり、

暗い気分になっている時には、のことなど考えられなかったりします。

自分には無縁の出来事だ

とさえ、思っていることがあります。

これがもう一つの意味です。夢の影は、

自分が

受け容れることのできない感情

を表していることがあります。

 

私たちは、自分の影から逃れることはできません。

どれほど速く、遠く走っても。

始終つきまとわれながらも、

それでも心地よく日常を送るためにはどうすればいいのか、

突き止めようとはせず、

なんとなく放置していることはないでしょうか。

 

「影のようなものに、追いかけられる夢をよく見た」という女性がいます。

当時の自分は

人の傘を盗み、校則に違反し髪を染め、裏で他人の悪口を言い、道にゴミを平気で捨ている人や、

髪を染めた派手なグループが、弱い人や大人しい人を虐げる姿などを見るにつけ、

敏感に反応して、違反する人を嫌っていた、

と言います。しかし、

後に当時を振り返ったとき、

校則違反は自己アピールやお洒落の1つであり、

もっと深く考えると、非行に走るのはSOSの可能性もあった、

そして、何より自分も嫌いな人がいて、100%善い人でいる必要もないし、誰かを憎むことも当然だと

わかるようになった、と言います。そう考えられるようになった頃から、

こうした夢は見なくなった、と。

 

もし、あなたが同じような夢を見るとしたら、真面目過ぎるのかもしれません。

真面目な人ほど、ひとつのことに囚われがちで、「こうでなくては」と考えてしまい、

自分と同じように真面目にできない人に対して、理解を示せずにいる

ことがあります。

 

「怠けている」ように見える人の心も、一色ではありません。私達の心には

明るい考えと暗い考えが交互に押し寄せてくるものです。そうでなくとも

一つの世界があれば、そこには必ず光と影の両方が存在していて、

光が強くなれば、その分影が濃くなり、

喜びが大きくなれば、悲しみのリスクも大きくなります。

向上心が強ければ強いほど、失望感を覚える可能性も高まります。

あらゆる希望の裏には怖れがあります。

 

自分の内なる世界であっても、おそらくは完全に善いもの、

清らかなものだけで作られてはいないことでしょう。

一般には望ましくないとされるギャンブルや飲酒などが、ある程度は許容されているように、

自分自身の中でも

「望ましくはないが、許されなければならないこと」が存在します。

悪いものをただ押さえ込み、消し去ればいい、

ということでは立ち行かず、

その両方があって

人生にコントラストと意味が生じます。

 

本来

一つの完全なるものには、まったく正反対の二つの側面があって、

あなたが悪いこととして認識していることのなかにも良いところがあり、

良いこととして認識していることのなかにも悪いところがあるのだということ、

そうした

普段意識していない、自分の反対側の感情にも目を向け、

どちらもあるのが普通なのだ、

と考えてみると、心が軽くなるのではないでしょうか。

 

日向で微笑む私と影に生きる私 参照

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