夢は心の現実
松の木の種が、桜になることはなく、
桜の木の種子が、松の木になることはありません。
あの、美しい桜色は、花びらからではなく、樹皮から抽出します。
何を意味するかというと、
樹木には、すでに鮮やかな桜色が息づいている
ということ。
人もまた、
種子の段階から、
卵子の段階から、
その可能性はインプットされている
ということ、
既に「本来の私になる」という意志を秘め、私達は生まれる
とはいえないでしょうか。
ユングの心理学に基づき考えても、
夢は
本来の私自身になるよう要請し続けている
といえます。
私達は
時々、
何のために?
他の誰でもなく、「自分が」
なぜこの苦しみを受けなくてはならないのか、
と考えることがあります。
やや超越的な視点が必要になりますが、
日常で起こる様々な事象もまた、
「本来の私自身」に至るためのプロセス
であるともいえ、
日常に体験した出来事の数々は、無意識の中に断片的に取り込まれ、
それが
間違った方向に向かうかもしれない可能性として
自己にイメージされるとき、夢(無意識)が、警告を発することがあります。
否定的な夢は、
実現を妨げていることへの警告
であり、
本来の私
を取り戻すための苦しみを描いている
のだといえます。
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