私には大事なこと/時には、関係者全員が新たな選択肢を探る必要がある
夢遊病という心の叫び
夢遊病には、それだけ切羽詰まった心情が隠れているように思います。
そこには――
「やらなければ」と思いながらも、どうしてもできずにいる事情や、
強い責任感に突き動かされるような、
「どうしても解決しなければならない」という切実な思いがあるのかもしれません。
たとえば、ある女性の例です。
彼女は長い間、祖父の介護をしていました。
しかし祖父が亡くなったある日を境に、彼女は夜中に無意識のまま起き上がり、
階段を下りてくるようになったのです。
それは単に介護熱心だったとか、
看病の癖が抜けなかったというだけではありません。
祖父が生きていた頃、彼女の中にはさまざまな葛藤があったようです。
「もっとできたのではないか」
「完璧じゃなかったことが悔やまれる」
そんな思いが、受け入れがたさとして残り、
「まだできることがある」と無意識が訴えていたのかもしれません。
夢遊病は、
医学的にもまだ解明されきっていない部分が多いものの、多くは自然に消えていくといわれています。
けれども、本人にしてみれば――
「這ってでも、心を落ち着かせるためにやらなければならないことがある」
そんな感覚に近いものがあるのかもしれません。
実は私自身も、10代の頃に夢遊病の経験があります。
もちろん本人は覚えていませんが、母から聞いた話では、
ある晩、私は突然母の部屋へ行き、こう言ったそうです。
「おやすみなさいを言ってなかったから。おやすみなさい」
その日、私は母に「おやすみなさい」を言わずに寝てしまっていたのです。
そして無意識のうちに、それをやり直しに行ったのでしょう。
子どもがトイレの夢を見て布団の上で用を足そうとするようなことや、
娘が夢の中で部活動の指導をしていて、まるで現実のように振る舞っていたこともありました。
夢遊病は、単なる「異常行動」ではなく、
心がどうしても伝えたかったこと、片付けておきたかったことが、
行動となって現れる一種の“心のサイン”なのかもしれません。
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