原初の観念を持つことが大切
特にそれが好きというわけでもないのに、
夢の中で特定の食べ物を提供されたり、しきりに勧められる夢を見る、
ということはないでしょうか。
和食なら、
素材を生かすように、
ということかもしれません。
和食には、中華や西洋料理のような濃い味付けや色の強調はありません。
今手掛けていることは、
元々のあるものに手を加えるよりは、時々の変化に気づいて対応する
心構えが大切なのではないでしょうか。過剰にせず、
何もないことを最善とする
考え方、
加工度を小さくし、繊細な感受性を大事にしましょう。
人為的な美味しさを創り出すよりは、自然の状態を見極めながら必要な手当てをしていくこと
が大切です。
懐石料理を提供されたら、
「気づき」と「心延え(こころばえ)=思いの広がり」について知らせています。
あなたがお膳に並べていたら、何かを揃え、綺麗に整えることが、
あなたのクリエーションであるかもしれません。
例えば、お刺身パックをそのまま置くのと、きれいに盛り付け、並べるのとでは
美味しさも違ってくるように、
整った美しいリビングに居るとき、幸せな気持ちになるように、
そこに在るものが同じであっても、
それに対する意識の差が、状況を変えてしまう
ということでしょう。
それ(あなたに必要なもの)を綺麗に整えることで、あなた自身も
心の平和、安らぎを得て、自分の居場所に戻ることができる
ことを告げています。
また、懐石料理は、
味覚の楽しみよりも、自然に寄り添い、情緒を優先する心から成るもので、
(提供者の)狙いと
(提供される側の)気づきの誤差を楽しむ
醍醐味があったりします。
日本の美の観念を大切にし、時々の違いを感じ取る感性を養うよう
言われているのかもしれません。
若しくは、
箸をとって「いただきます」という時のような
自然の恵み
=他力に感謝する心、
身近なところに起こる、ちょっとした変化に気づき、喜ぶ心を大切にするように、
と言われているのでしょう。
和食には、
「季節」「朝夕」「旬」「鮮度」「発酵」があり、
これら抜きに和食の魅力は語れないでしょう。
全てが変化に通じていて、それは決してとどまることがないのだ、ということ。
あなたが、時とともに移ろいゆくものに焦点をあてているか、
生命の一瞬を掴む術を会得しようとしている可能性があります。例えば
写真や美術を生業としているのかもしれません。
西洋の料理は、人間中心主義の「進化」を、
日本食は、自然中心主義の「深化」を意味し、精神性を深めることにあります。
食材を混ぜ、液体や卵を「混ぜて」形あるものを創り出す西洋料理は、
どちらかというと「化学的」で、
日本食は
「あえる」のが基本、「色・姿・味わい」といった素材感を尊重します。
そうしたところも、夢を解くヒントになるでしょうか。
和食は、
調理中に感じる変化や感覚センサーを信頼します。
加減によって美味しさが変わり、複雑さに対応します。
感覚所与を磨くエクササイズを促しています。
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