「見つけられない」は、
「見つける」ことができないわけで、
あなたはそこに到達したい、接近したいと望んでいるのだけど、
それができない、対象に
関心を払ってもらえていない、わかってもらえない
という思いであったりもします。
「待っている人が来ない」夢は、
不信感や敵意の表れ
であったりもするでしょう。
はぐれるのは、何かと行き違いが生じる
ー 相互理解が叶わないとか、何かと価値観が符号せず、行違う
といったことが考えられます。
待ち合わせるとき、
私達は期待感に胸を膨らませます。でも、待ち合わせている相手と会えず、
焦るのは、
「ああでもない、こうでもない」と焦燥感に駆られていたり葛藤があり、
うまく扱うことができないもどかしさ、
或いは
自分だけ盛り上がっていて、相手から同じ熱量が伝わってこない、
という気持ちかもしれません。
焦っていないとしても
そのうちあえる=そのうちあってくるんじゃないか、と
自分の側が勝手な期待をしている
という可能性もあります。例えば
自分の希望や憶測で相手を見ている、
「○○していれば、なんとかなるだろう」と目をつぶっているか、
何か問題点がある、
と気づきながら、目を反らしているのかもしれません。
私達は、
相手を気に入ってしまうと、無理やり合わせようとしてしまう
ことがあります。いつまで経っても
待ち続けて悲しい思いをするのは、あなたが我慢し続けている(それも、勝手に)
ということかもしれません。
「私は、家族みんなと車で遊びにでかけました。途中によったお店で
ママと、ママが付き合っている彼氏といっしょにどこかへ行ったきり、戻ってきませんでした。
私達はみんなで一生懸命探したけれど、見つからないので、
仕方なく、ママ達を置いて、他のみんなと水族館に向かいました」
これは、ある子どもが見た夢で、夢主はママのことが大好きです。
一生懸命探し(見つけようと)まわったものの、最終的には
待つのをやめ、他のみんなと一緒に行こうと決断するあたり、自立心が芽生えてきたことが伺えます。
(諦める=脱皮しようとしている、何かをふっきる、)
ママはいま、自分のことに精一杯だ、
期待せず、とりあえずは他の選択肢に目を向けて
行動していこう、
という思いかもしれない、
親の死も、自立に関しての夢ですが、
上記の夢の場合は、「離れていられる」自信や安心があるというところでしょう。
大好きな人に思いを残しつつ離れるのですから、
夢で一緒にいた人とは、それだけのパワーを持っている人達、
一緒にいることが「楽」で、幸せだと感じる、自然に続いてゆく関係
であるともいえます。
あなたが待ち合わせている相手が恋人や伴侶、友人だったとしても、私達が
それぞれに自立していれば、
離れている間は、自分で舵をとり、コントロールしていられます。
「待つ」のワードでも記述しましたが、
待ち合わせたところで会えないとしても、
最初に決めた目的地でともにゴール到達するベストパートナーかもしれない、
あなた自身がhappyであれば、おのずとそれにふさわしい人達と出逢えます。
私達には実生活があり、
自分が我慢して合わせるには、限度があります。それがどの程度なのかを
あなたは
知る必要があるかもしれません。
自分のほうが価値観が正しいとか、しっかりしていると思っていても、
それを押し付けることはできないのです。
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