それって、どうなん?現実と理想のはざまで苦しむ
例えば、
「無駄使い」だと言われて節約を心掛けた矢先、
「無駄遣い」を指摘した人物に
無駄なお金を使わされて、腹立たしい思いをする
など、
夢全体のストーリー展開に、
納得できない
気持ちになることがあります。
夢が示唆していたのは、
自分の主義をつらぬいて決断を下せるかどうか、
ということだったのかもしれません。
自分の考えに自信を持てるだけの洞察がもたらされていないときは、
決断が揺らぎ、混乱しやすいものです。
世間的なルール(お金ならお金に関する)を無視してまで
自分スタイルを貫けるかどうか、
考えているのかもしれません。
夢に登場する人物が、かくも自信ありげに自分の意見を言って、
言いくるめられそうになっていたら、
その人達は、おそらく
自身の経験に基づき判断しようという側面です。
数学者たちが計算式を用い、科学者たちが製法を用いるように、
私たちはみなそれぞれに、
理解することに役立つメソッドを持っています。
時にはそれが、
どれだけ説明されても誰も理解できないほど複雑なテクニックになっている
こともあるでしょう。
「これで大丈夫」と思えるようにするために、
守るしかない複雑な習慣をつくってしまっていることも。
「悪いことをすれば、報いがある」ということわざを支えに生きてきた、
という人がいます。ですが、
本当のところ、自分にそう思い込ませることで、心を守ってきたのかもしれません。
その人は、夢の中で
「自分をいじめて、憎しみさえ抱く人物の息子に出逢った」、といいます。
「パパのことを好き?と聞かれて『勿論好きだよ』と答えた自分に、無性に腹が立ち、
目が覚めて、『虫唾が走った』といいます。
夢主は、
憎き男の息子の言葉は、自分自身への問いかけであり、
自分の心の持ちようを確認されたのではないか、と解釈しています。
もう一つ、理解しておかねばならないのは、
「自分を支えてきた」と思い込んでいたことわざは、実は
「誰かからのお仕着せの考え」にしがみついていたに過ぎなかった、
ということです。
あなたの信念は、
あなたの心のなかではぐくみ、
あなたの頭がきちんと理解 できるものでなければなりません。
自分の心は、自分が一番わかっている!
と思っていますが、私達は、
世間体やルールについて考え、
不合理で感情的な道を進んでしまうこともあります。
合理的な解決策がない問題に対処している
のかもしれません。
腹立たしいが、
他に手立てはなかった
と、自分の善意に納得できるなら、
ほとぼりが冷め、それまでとは違う視点から状況を見られるようになると、
「とんでもなくバカなふるまいだったけれど、ああしてよかった」と思えるでしょう。
多くの不確実な事柄に対処しているのだとしたら、
一旦、シンプルな考えに立ち戻ってみましょう。
物事は見かけどおり、予想通りとはかぎらないし、
昨日「いい考えだ」と思ったことが、今日には役にはたたないかもしれない、
いろんな可能性について考えてみなければ、他にもいくつか選択肢があることに気づけず、
がっかりさせられる
こともある・・・
そうして
決断が揺らいでいる時には、
「・・・ったら、いいな」と思うものについて考えることをやめ、
代わりに自分がすでに持っているものに注意を向けてください。
すでに多くの特別なギフトが与えられていることに気づくはずです。
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