高速道路 工場 故人 子供 ゴミ 殺される 殺す 壊す コンサート
コート
現実のコートは凍えるような寒さから身を守ります。
それと同じで、夢のコートも外界で起きる変化や敵など、あなたの身(心)を守るために用いられました。
外界はあなたにとって「厳しい世界」のようです。
自身の本当の気持ちを隠したい、秘密や弱みを握られたくない、批判を受けたくないと思っている可能性があるでしょう。
コートが厚いほど、心のヴェールを厚くしています。
本来コートの出番は「冬」、それ以外の時に着用しても重く、暑苦しく邪魔になるだけです。
あなたの心をそろそろ明るい陽だまりの中へ向けさせましょう。
自分の心の中をのぞき込み、無意識と意識の狭間にあるものに問いかけてみましょう。
今いる場所がどうして心地良く感じられないのか、受け容れることができないのか、考えてみましょう。
今ここで、自分の身体が位置する場所で実際に起きていることを認め生きていけるようにするのです。
少しづつでも外の空気に身を慣し、体感し、経験を増やしていくことで「危機感」は薄れてゆきます。
開き直り、いきなり暗礁にぶつけるような真似はしないでください。
少しづつ、現実と向き合ってゆくのです。
まず、空間に身をさらすことを覚えましょう。
忍耐をもって受け止められるようになれば、外の少々の冷たさは無力化させることができます。
他の人から弱点、触れて欲しくないことを衝かれることもあるかもしれません。
あなたには決して快いことではないでしょう。
けれど、この地上に降り立った魂はみな、あなたと同じ「未熟者」同士なのです。
だから受け入れ合う「学習」をしましょう。
他の人が自分とちがうのは当たり前。
だから揉まれあい、時に「喧嘩」しながら人との接し方や距離感を掴み、人を受容できるようになるのです。
触れられたくないことに触れられ、衝かれたくないことを衝かれながら自分を知り、自覚し反省し経験値を高めてゆきます。
風当たりを直に確認し、時に理解し、回避能力や回復能力を高め、日常生活を健康的に営めるようにしましょう。
歩み入ってゆくと、様々な本性に出逢い、心が折れそうになるかもしれません。
「自分はちっとも守られていない」と、感じることもあるかもしれません。
でも考えてみて。
あなたにはこの世界に参入する特権が与えら、「力」を身に付ける可能性を常にもっている!
地上に降り立った誰もが「選ばれし者」。
今は持てずにいる能力を あなたはいつかきっと獲得するでしょう。
そうして自身を発達させるため全力を尽くす中で、あなたは何に出逢っても、
どんな否定的な感情に襲われても、びくともしないようになります。
服参照
珈琲(コーヒー)
水は生存に必要なものを手に入れる欲求ですが、珈琲を飲むのは栄養を摂取するためではありません。
自然な欲求の充足とは異なる次元の行動を繰り広げることにあります。
珈琲の夢には、主に社交的な関係が表れています。
夢の中で、あなたが「美味しい珈琲を」「親しい人とともに」「味わう」ことのどれを望んでいたのかも手掛かりになります。
例えば「美味しい珈琲」を求めるのは、より良い関係性やおいしい(メリットのある)関係を、或いは状況の回復を試みている可能性もあるでしょう。
「親しい人とともに」については、珈琲の冷め具合から相手や状況に対する「欠如と充足」「快・不快感」を認識しようとしています。
「味わう」ことに焦点が行くなら、状況に適度な刺激を欲していて、なんらかの方法で満たそうとしているか、欠如をなんらかの方法で埋めようとしています。
恋人の元カノ
夢に恋人の元カノが登場したからといって、実際に元カノと彼がよりを戻すのを心配しているわけではないでしょう。
あなたは、彼とうまく恋愛を進行させていくためのヒントがほしいと考えているのです。
彼を「もっとわかりたい」という気持ちから、彼との関係を卒業した人から情報を得たいと思っています。
実際には、あなたは元カノの顔すら知らないかもしれません。
けれど、あくまであなたが知りたいのは彼のこと。
あなたが自分のデータから元カノのイメージにぴったりくる人を選び、彼の反応の中に確かなもの・有利なもの・進展の手掛かりを見つけたいと考えています。
交差点する道・交差点
現状、どの道にも進むことができるよ、というサインです。
夢で立ち止まっていたのは、あなたが今選択肢を与えられて見合わせているから。
重要な局面で何か一つを選択しなくてはならない時、
「選ばれなかった選択肢にある、大切なものを見失っていはいなかっただろうか」と不安に襲われ、「沢山の情報」を入手しなくてはならないような気持ちになります。
そのパターンにはまると、自分の安全のための道を探し続け、永遠に避難場所を求めるような生き方をしなくてはなくなります。
迷ったら、他の人と深く安定した「絆」を築くことを意識しましょう。
そして、その道を進むことで「自分にどんなメリットがあるか」ではなく、「自分が人にどんなことをしてあげられるのか」を考えます。
それはあなたの周りにいる人のためにもよいことですが、あなた自身に揺るぎない自尊心が備わるからです。
高次の自我を意識できるようになると、自分に必要な情報はいつでも必要な時に直感という形で降りてくるようになり、あなたはリラックスしてもっと楽しく進んでいけるようになります。
高速道路
一つには
物事を急ぐ必要があり、現状猛スピードで走っていることを表わします。
もう一つには、より大きな目標に取り組む必要があると認識していることを示しています。
若しくはこの両方、あなたが立てた目標を達成するために、効率よく進めていこうとしている可能性もあるでしょう。
どの場合も、もっと速度を落として進むよう忠告している可能性もあります。
無意識の中にいても、意識を働かせていても、必要なことは同じです。
禁止の標識やタブー・神聖なものを示す警告・解釈の歪み・幸福感という落とし穴・・そうしたものを無視しないことです。
これまでで育ててきた「理性」を使い、物事をしっかり見据えて進みましょう。
感情だけで走るのは危険であり、高速道路上で他の車に追い越され、怒りの感情に振り回されて「追い越しかえそう」などと考えては事故の元、トラブルを引き起こすことになります。
無事ゴールに辿り就くためには、理性を働かせ感情をコントロールできることも大切なのです。
時空を超えた場所にあっても、高い領域に向かうほど論理的・分析的思考の介在が必要になります。
現実世界にあっても、道筋が明確で、行動に基準があること、
何を成し遂げ、何をしないと決めるか判断できること、
必要な時に休息できるか、どうすれば自分をリフレッシュさせ行動力を回復させるか考えながら進んでいくことができれば、飛躍的に成果を上げることができます。
工場
労働力や義務・責任を象徴しています。
工場の環境条件は、現実のあなたの労働意欲を表わします。
もしも夢の工場が「牢獄」のように感じたとしたら、現実はそれほど苛酷ではないにしろ、似たような「嫌悪感」を感じているといえます。
工場で機械が動いているシーンが強く印象に残るのは、自分は社会の歯車の一部に過ぎない、という気持ちの表れ。
仕事の収入に問題はなくとも、気力を削がれるような仕事を強いられている可能性もあるでしょう。
夢は、そのような労働環境にしがみついていると、自分の生産能力が損なわれてしまうぞ、と警告を発しているのです。
「生活」という言葉は「生」で始まります。
現実の仕事も、あなたを生かすものであればこそ続けるに値します。
あなたは、毎朝
「また今日もくたくたに疲れるのだ」という思いにうめきながら、無理矢理心と体を引き摺って仕事に出てはいませんか。
あなたの生命力を減らすような仕事に耐え続けることが、どれほど自分を屈辱的に扱うことになるのか、一度考えてみることが大切です。
故人
亡くなった人が、夢に登場することがあります。
あなたは、明るくこんな風に言うかもしれません。
「なあんだ。生きているじゃない」
この世界は、自分の内なる世界の現象にすぎない、
無意識の中にいる時のあなたは、それがよくわかっています。
故人は、あなたの外部からは去りましたが、内なる世界に生まれ、生きています。
そして、思いによって、肉体に宿っていた時よりも強く結びつくこともあります。
夢にその人が現われたのは、あなたが日中故人に会いたいと願っていたからかもしれません。
起きている時、魂は意識領域で機能していますが、無意識の領域のもっと奥には、無限の可能性や次元があります。
また、眠りの状態があなたの精神に作用し、効果的なヒーリングが行われていた可能性もあるでしょう。
夢で「故人に会った」ことで、何か特別な意味を考えたり、その理由や出所について詮索したくなるかもしれませんが、
そうしたことは取りあえず脇に置き、
その人からもらう励ましや幸せな気持ちを、「ただ受け取り」ましょう。
夢に現われた人は、笑っていただけで、特別なことは何も言われなかったかもしれません。
それでも、夢のシーンから検討をつけ、あなたなりに感じたことをメッセージとして受け取りましょう。
子供
夢に現れたのは、自分の中の子供です。
今、あなたが使うべき物差しは「自分の喜び」の有無と、心に住んでいる子供の声です。
あなたがその方向に歩み出すと、自分の利益にのためにあなたを頼りにしている人が困ったり傷つくこともあるでしょう。
けれど、大局的に見れば、その人の依存体質を断ち切ることは本人のためになります。
人はそれぞれの人生の中で課題と取り組んで生きてもいます。
あなたの心の子供を喜ばせるものが、真にあなたを幸せに導くものです。
また、その声こそ、あなたを他人の利己的な欲求という混乱から救い出し、自分の個性を謳歌する光の世界へ誘ってくれます。
雑念や要らなくなった計画などを表わします。
それらは、あなたに新しい形態を与えてはくれません。
新たなものに作りかえるには、作りかえる能力や道徳的な想像力が必要ですが、その技を得る必要もなくなったのでしょう。
他にもっとよい計画や実現の道を知ったことで、それを現実に適用する必要がなくなったのかもしれません。
殺される
「死ぬ」という生命の摂理とは異なり、強制的な働きかけによって再生を余儀なくされるという予兆です。
今までの運命が変るという意味においては同じですが、あなたの側には準備が整っておらず、意志に反するやり方で変容せざるを得なくなったという点で異なります。
悪夢で終わらせないためには、本来自分ですべき決別を助けてもらえた、と肯定感を持つことが大切です。
これまでのあなたが、どんな変容を迫られても生き方を一向に変えようとしなかった、という可能性もあるでしょう。
大きな変容の時には苦痛を伴うものです。
これまでの人生に固執して自分を頑固にしていたり、無感動のまま生きていると、人生を豊かにしてくれるものを掴み損ねてしまいます。
「殺される」のは、ある種そうした頑固な自分の考えを覆すような事実が生じる時です。
もしも、あなたの心に自分の考えを訂正する用意があるなら、思ったよりも短期のうちに別人のようになれるでしょう。
幼年期から老齢期に至るまで、誰もが各段階においてそれまでの心身の組織を脱ぎ捨てねばならないのであり、再組織化という意味において夢の「死」は恐れるものではありません。
殺す
夢で誰かを殺すのは、その人の影響下から逃れたいと思っていることを表わします。
親や指導者を殺す夢は、「自立心」の表れ、
恋人を殺すのは、相手を束縛したいと思っていることを、
友人を殺すのは、友人に勝ちたいと思っていることを表わします。
いずれも優位に立ちたいが「現実では容易に叶わない」、と思っているから。
夢は、そうした自身の気持ちにけりをつけ、乗り越えようとしていることを、
自分なりの新しい価値観を打ち立てようとしていることを表わしています。
自身の向上のための必要プロセスだとしても、
誰かを殺してしまった、という夢は悲惨で、あなたの心は壊れそうになるかもしれません。
罪悪感・悲しみ・喪失感、そして
これまで親しんだ世界から突き放され、もう後戻りできないという孤独に立たされます。
それは現実でも同じ。
大きな変化を迎える時、人は「二度と戻ってはこない」という喪失感に打ちひしがれたり、「死ぬかもしれない」と思えるほど辛い体験をしながらも、現実を受け入れるようになります。
気持ちをごまかさず、しっかりと理解し、味わいましょう。
事態を受け入れ、ピリオドを打ちましょう。
壊す
実際に何かが壊れると、そのものの機能は正常に働くことはなくなり、
使えなくなります。
それが簡単に諦められる物であったり、代替えを購入できる物ならともかく、高価なものであったり、生活に欠かせない物であったら「問題」が起きた!と認識されるでしょう。
夢の中で壊れた物によっては、現実と同様トラブルに発展する可能性もあります。
もしも、あなたが故意に壊したのだとしたら、
何かを破壊するかもしれないほど不満のエネルギーが高まっていることを、夢は暗示しています。
そのまま放っておけば問題を引き起こす可能性があります。
深刻な影響を及ぼす前に、あなたの中で溜まっている不満を解消させましょう。
また、夢で壊れたものが現状壊れて都合の悪いものであるなら、先手を打って代用品の目星をつけておくと良いでしょう。
夢の中で何かが壊れてしまう体験は、あなたの意志を妨害する力が働いている可能性もあります。
夢のシーンに不安を感じたなら、
あなたが確かな拠り所を得ることが、
これまであなたをゆるがせていたものがあったとしても、未来においてはゆるがせにしない、と誓う行為こそが大切です。
この世界には、ちょっとした隙をついてあなたを引き摺り下ろそうとする、破壊者も存在します。
それは「魔」とも呼ばれています。
あなたがこの破壊力に拘束されることがあったとしても、思考と感情の間に調和をもたらすことができれば、
それに感謝することもできるでしょう。
何故なら、その恐ろしい存在が、私達に「誓い」をたてるよう促すのですから。
あなたは可能な限り、
「これまでゆるがせてきたことを改善するために努力する」と誓って生きてきたし、
私達は皆その体験を通して、新しい自己を知るようにもなります。
今の自分に働きかけつつ、しっかりとした力を蓄えていくことができるのです。
無意識での体験は直感へと変わり、あなた自身を救います。
コンサート(ライブへ)
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