もう、終わってしまうのか/この運命を受け入れよう
「死」は、
何かが変わる、何かが終わることのシンボルであり、
例えば失業や離婚など、
今の人生のかたちや構造がこわれてしまうことの象徴です。
なので、夢での宣告というのは、
これまで当然だと思っていたことが、すべて吹き飛ばされてしまうことへのおそれ、
まるで
「死にとりつかれてしまった」ような気分を味わっている
ということなのでしょう。
ただ死ぬのと何が違うといえば、
この夢は
何かの終わりを先んじて見せてくれることで、
現実生活のスケジュールに生じるゆがみを
修正できるチャンスを得られる
ということでしょう。
私達が本当に恐れているのは、
終わってしまうそのことよりも、
何かが手遅れになる
ことなのかもしれません。
未練は前進を阻み、そこに留まろうとあがけば苦しみが増すばかりです。
私達は、間違いなく未来に向かって進んでいるのであり、後戻りはできません。
その準備は整っているでしょうか。
何かの始まり(新年を迎えたときなど)に、こうした夢をみたとしたら、
「完全に新しい時間へと入って行くために、
終わらせておくべきことを、終わらせておきたい」という意識が働いているか、
クライマックスを迎えようとしている可能性があります。
「既に亡くなった友人が、死の宣告を受ける」夢を見た人がいます。
ひょっとしたら、
「自分の世界にはもう生きていない」人=終わった関係に、未練があったのかもしれない、
でも、必死で受け入れようとしているのではないでしょうか。
ある人は、ご主人と穏やかな対話を繰り返す中で、
別の人生を生きることを選択し、その意志を告げたあと
「自ら死に向かわなければならない」夢を見ました。
諦めというよりは、「そうしなくてはならない運命を受け容れた」
そうです。
この夢を見たら
何かを失うたびに慌てふためき、頭をかかえるのではなく、
変化のさざ波を受け入れることです。
誰がうまれながらに死を宣告されています。
でも、暗い影を背負って陰鬱に生きるより、
明るい気分で、感謝しながら生かすほうがずっといいです。
この夢を見たら、
自分の人生を理想の人生に変え始めてゆくチャンス、
と考えましょう。
私達には、どんな状況も有意義な進歩に変えられる力があります。
現状を素直に受け入れることができれば、
心のバランスを取り戻すのに、十分間に合うはずです。
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