不便さが、生きる精神を養う
不便さの中で起きることに目を向けていること。
私達の多くは
安定を求め、リスクが少ないほうを選び、活動しています。
けれども、そうした生活の中には、創造的情動をゆるす活動はありません。
私達の内側には、少なからず
リスクをおかしたいという欲求があって、
それは、
自分が本当に必要としているものを求めて生きたい、
という欲求でもあります。
目下体験していることが、
普段、殆ど使っていない機能に意識を向けさせている
のかもしれません。
SISU(シス)の精神(フィンランド人独特の精神力)ともいうべき
厳しい時を乗り越えていくときの力を養おうとしている
のかもしれません。
文明社会になった今、私達はGoogle検索すれば、どこへでも行くことができますが、
私達は
どこへ向かうべきなのか、本能的に知っています。
自分の考えを妨げる様々な習慣
から離れ、本来の感覚を研ぎ澄まそうとしていること。
本質や真理(生きるために本当に必要なこと)を見出そう
としていること。
<「森」「山」参照。>
「本能」が「思考」と組み合わさったときに発揮される力は、半端ではありません。
本能的直観は強力なツールであり、
あなたがその力にアクセスしたときには
おのずと良い決断や選択に導かれます。
現状を打破するために、
(自然の)神秘な力を活用しようとしていること。
他に、
騒々しい現実からの逃避、
俗世間(現状)に飽きてきている、
「原初」へ回帰したい、という切望
とも考えられますが、その思いのもっと奥には
本能に従いたい、理性より本能を優先させたい
思いがあるのではないでしょうか。
夢の中では、
秘密基地を作ったり、山を散策したり、
料理に取り組んだり、ギターを弾いたり、釣りを楽しむ人に出会うかもしれません。
「学校の校庭で、みんなでキャンプする」夢を見た子供もいます。
多様な働きを理解し、
仲間との意識が融合できるよう、センサーを開くように
言われているのかもしれません。
他の人の表現方法を認めることが、
自分の選択肢や可能性を広げる
ことに繋がります。
キャンプファイヤーなら、
自分自身の燃える炎で周囲に多くの人を集めている
可能性があります。
たとえば、最初はあなた一人でやっていたことについて、
「それ、一緒にやらせていただけませんか」「私も同行させてください!」
という人が増えてくるかもしれません。
最初は単独行だったことが、
動いて行った先で様々な出会いがあり、
帰ってくる頃にはチームになっていた、といった展開が起きる可能性があります。
ソロキャンプなら、自分のペースを大事にしているのでしょう。
読書したり、ゆっくりと料理やお酒を味わったり、
一人実行に移すことの苦労の中には、
他の人にはわかりえない楽しみ方
が隠されていたりもします。
この世界に生きる醍醐味について
賢明な自分と対話しようとしている
可能性もあるでしょう。
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