ポジティブな効果を忘れないで/その時間の中に、大切な感覚がある。/自分の心を動かすために必要なこと。
夢の中で一生懸命になっていたことが、
現実に引き戻された途端、
あれのなにが面白かったんだろう、と思うことがあります。
私などは、ある時期にこうした夢をよく見て、
夢から「あなたは無駄なことをしている」と言われているのだろう、と思って自分を笑ったものです。
でも、本当はそうではなく
意味や成果から離れて、心が何かに没頭したがっている状態
を表していたのかもしれません。
現実での私達は
役に立つこと
意味のあること
効率のよいこと
人に説明できること
ばかりを求められがちです。
けれど、
心は、いつも合理的なものだけで満たされているわけではない、
ときには、
何の役にも立たないようなこと
くだらない会話
ただ眺めているだけの時間
誰かと一緒に笑った記憶
の中に、深く癒されることがあります。
あなたの心は
意味のある成果よりも、
自由に感じる時間や、誰かと共有する感覚を求めている
のかもしれません。
実例:無数のタコが映っているだけの映画を見続ける夢
友人と私以外には誰もいない映画館で、ただ無数のタコが水中で動いているだけの映画を見続けていました。
どう考えても面白くないのですが、私も友人も一言も喋らず、食い入るように映画を見つめていました。
この夢を見たころ、夢主は「趣味の映画鑑賞ができていなかった」といいます。また、
一緒にいた友人とは、映画をきっかけに話すようになったものの、近ごろは映画の話題をすることが少なくなっていました。
夢の中の映画は、決して面白い内容ではありません。
ただ、無数のタコが水中で動いているだけです。
けれど、その「くだらなさ」や「意味のわからなさ」こそ、
かつて友人と一緒に楽しんでいた時間を思い出させるものだったのかもしれません。
夢主は、こう語っています。
「B級映画が好きで、くだらない内容の映画を友人と一緒に笑いながら見ることが好きだった」
つまりこの夢は、
映画を見たい
友人と話したい
外へ出かけたい
という欲求だけでなく、
その友人としか共有できなかった、ばかばかしくて楽しい時間を取り戻したい気持ち
を表していたのでしょう。
夢の中の映画館に、友人と自分以外は誰もいません。
これは、世間に向けて開かれた場所というより、
その友人との間にだけ存在していた、特別な感性の空間のようにも見えます。
人から見れば、くだらない。
何が面白いのかわからない。
でも、二人にはわかる。
そういう関係や感覚は、とても個人的なものです。
夢は、その親密な空気を、誰もいない映画館という形で表した
のではないでしょうか。
そして、二人とも一言も喋らず、食い入るように見ていたのは、
本当は話したいことや笑い合いたい気持ちがあるのに、
まだ現実ではそこまで戻れていないことを表しているのかもしれません。
くだらないことは、心の余白を取り戻す入口
つまらないことに一生懸命になる夢は、
「つまらないことをしている」という意味ではなく、
自分の中にある遊び心や感性が、
まだ失われていないことを知らせている夢です。
それをして何かを成し遂げられるわけでもない、
有利になったり、物事を上手に操れるようにもならないかもしれない、
評価もされることもないかもしれません。
でも
私達の心は、ときどき、
何の意味もないようなこと
笑って終わるだけのこと
誰かと共有するだけで満たされる時間
を必要とします。
この夢を見たときは、
自分が最近、楽しみを後回しにしていないかを考えてみるとよいでしょう。
無駄に見える時間の中にこそ、自分らしさや大切な記憶が残っている
ことがあります。



コメント