その人の価値観や考え方に触れること/その人を通じて自分の世界を広げる/二人の間に共有されたプラスの記憶
本には、
過去の経験から学んだことや、
私達が、 人生の特定の時点でとるべき行動が書かれています。
かつての友人との再会や和解を求めている時、
本を勧められたり、興味を惹く本を見つけ、貸してもらう
夢を見ることが、案外あります。
わだかまりを解くカギ(知識)
を求めているのかもしれません。
その本が現実には存在しない、タイトルはわかない、ということもあります。
自分の中からは出てこない
新しい考え方や、知らないでいること
があるのかもしれない、
不思議なことに、
この夢を見る人の多くが、最終的には
「他の人の助言ではなく、
自分がわかっていることや感じていることが答え」
と納得します。
「よくわからないけど、そんな気がする」というときのあの感じ、
それが正しいことを裏づける具体的な証拠がないとしても、
そこに秘められている可能性に私たちはどこかで気づいているものです。
洗いざらい知ろうとしたり、分析する必要はないのかもしれません。
仏法では、「友」とは、
地位や立場を問わず、年齢や性別も関係なく、お互いの悩みや挑戦を語り、
励まし合って生きる存在であり、
善知識である
という見方があります。
善知識が、私達を成長させ、価値ある取り組みへと向かわせるように、
夢の友達もまた、そうであるのかもしれない、
良き本は、良き友に出逢うようなもの
なのです。
あなたが「大事にしたい」と思っていた
人との関係に問題が生じたり、繋がりが断たれ、夢の本に何か意味を感じているとしたら、
これから会うとしても、現実にはもう会うことはないとしても、
本物の関係に育て上げていくための方法を見つけていこう、
という姿勢を持ち続けること
が大切なのかもしれません。
自分の中で
長い間、問題が問題のままになっている、
としたら、夢の「本」とは、その先で
手に入れられる幸福の光なのかもしれません。
或いは「創造のためのツール」で、
あなたの心のハードルを解き、
新しい可能性につながる扉を開くための、人生に希望という新鮮な風を取り入れるための
知識を取り入れようとしているのかもしれません。
良書は
「自問することを余儀なくさせる」という意味において
自分が一番よく分かっていて、自分の見方が正しく、自分の信念には非の打ちどころがない
と思っていることに
新しい何かが入ってこられる余地、改善できる余地をつくるよう
言われているのかもしれません。
私達は
事態はいつか好転する、という望みを抱きながら、
人生と折り合いをつけて生きていたりもします。
人生では選択肢がないときもありますが、私たちはその望みにすがりながら、
状況を受け入れる覚悟をしていたりもします。



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