他人の価値観に従っているとき、私達はどれだけ自分自身を大切にできるだろう
落ち込んだとき、優しい眼差しを向ける自分はいるだろうか

娘が、美人になる仕方を教わり、試してみる。
鏡に向かって何かするようだけど、それがうまくいったようで喜び、もう少しやってみようとする。
ただ、それを二度続けてしてしまうと逆に醜くなる
事を知らなかった。二度やってしまうと不細工になってしまうのだ。
元々「美人」の娘は大変落胆し、暫く部屋の電気は消えて真っ暗だった。
私は暫くそっとしておいたが、心配になり、様子を見に行く。
すると顏は元に戻っていて、「よかった、戻っているよ」というと、
「うん、時間が経つと戻るらしい」といった。ただ、
まだショックを受けているようだった。」
こうした夢が語っているのは、
「見た目の美しさ」にとらわれてしまう私たちの心の揺らぎ
なのでしょう。
美しくありたい、若く見られたい、好かれたい――
それは誰にでもある素直な気持ちです。
けれど時に、
“良いはず”のことをして、かえって傷つくこともあるのです。
他人の価値観や流行に合わせるほど、自分を見失ってしまう。
“美しさ”、他者に「良く見られたい」気持ち
が、心の重荷になることもある、
或いは
そのやり方を少し間違えてしまったがために、深く傷ついてしまう、
そんな心の繊細な動きを、夢は描いていたのかもしれません。
でも――
この夢には、希望がありました。
夢主は、そんな傷ついた「娘」を決して否定しませんでした。
また、
「どうしてそんなことをしたの?」
「誰に言われたの?」と責めることもなかった、
ただ、「見せてごらん」「大丈夫、戻ってるよ」と、
そのままの彼女を包み込むように寄り添ったのです。
この夢の中の“娘”は、
もしかしたら今の夢主自身かもしれません。
美しさを気にして、頑張って、でもちょっと失敗して、
心の中で「私、何やってるんだろう」と落ち込んでいる、
そんな小さな自分がいる、
その自分に向かって、
「いいんだよ、また元に戻るからね」
と優しく声をかけてあげられる――
そんな**“癒しのプロセス”**が、夢というかたちで描かれていたのかもしれません。
時間が経てば、戻ることもある。
でも、心の痛みだけはすぐには消えない。
だからこそ、言葉ではなく、
そっと隣にいるような存在が必要なのです。
この夢を通して、夢主が誰かに、
あるいは自分自身に、
静かに手を差し伸べている姿があたたかく映ります。
顔の美醜 参照



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